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東京芸術劇場 『ROMEO & JULIET』の感想

2016年12月13日夜に東京芸術劇場『ROMEO & JULIET』を観ました。会場は東京芸術劇場プレイハウス。

公演の詳細については下記をご参照ください。

https://www.geigeki.jp/performance/theater134/


(ここからネタばれがあります。ご留意ください)

袖も奥もどこか雑然としたなかに物語の空間がおかれたような舞台美術、可動式の大きな仕切りのようなものが(アフタートーク時に重量が0.5tくらいあるとの説明があった)空間や物語の動きを編む中、有名なシェークスピア悲劇のシーンが舞台に現出していきます。その並びはランダムで戯曲に語られる順番というわけではない。断片的に切り出された刹那の重なりに物語が解け浮かぶような感じ、でも、描かれるそれぞれがあまりにも有名なエピソードたちでもあり、物語の全容が解けるころには違和感は滅失し、戯曲に紡がれたものから去来するシーンごとや登場人物たちの醸す様々な感覚の渦に取り込まれていました。 

黙々と男優たちが装置を押して変化させていく時間に描かれるものの質量と遷移のめまぐるしさを感じる。その中でROMEOを演じる青柳いづみがきっと男優が演じることでは引き出しえないであろう大人と子供の端境にある十代前半の未熟で短慮な印象の強さをロールに差し入れ、JULIETを担う川崎ゆり子がその年代ならではの選択肢を知らない視野狭窄とすら思える純粋で一途な思いを抱いた女性を瑞々しく演じる。役者たちが登場人物の様々な一瞬を舞台に立ち上げ、5日間の顛末は進み、戻り、塗り重なり、広がり、更にリフレインし、観る側のコアに刻まれていた同じ年代を過ごした記憶の縛めを解く。
気が付けば視座は物語の外に歩み出し、戯曲とそれを受け取るものの表裏は逆転し、悲劇は時系列ではなく、二人の死にまつわる記憶の断片が波紋のように広がり物語全体の共振とともに蘇るその歩みに沿うがごとくに舞台に満ちていきます。

舞台全体のさらし方もその中でのミザンスの作り方も、重さが空間の確かさを作りつつしなやかに変化していく装置にしても、様々に観る側の無意識に抱くものを浮かび上がらせる音たちにしても、役者たちの醸すキャラクターの質感にしても、直接シェークスピアが企てた歯車のかみ合わない悲劇が歩みを進める面白さに収斂するわけではないのです。作り手はそれらをすでに既知のこととして、シェークスピアの物語の記憶が観る側に解け心に満ちていくありようを捉え、下世話に言ってしまえば中二病の主人公たちの稚拙さと丸まらない感性の中での様々な刹那の悦びや苦さややるせなさや行き場のなさに普遍を与え、観る側が抱くものを削ぎ出し、観る側がもうずっと触れることすらなかった鍵を回す。舞台に紡がれた様々な力にその半ば錆びついた扉がきしむこともなく開き、観る側を引き込んでしまう。

ラストシーンで舞台自身が物語の時間への俯瞰を語ったとき、舞台に紡がれたものは観る側の記憶を借景にした物語として組み上がり、もはや齢を重ね半ば埋もれてしまった鈍色の時間ではいられず、心に去来することを止められない、でも決して手の届くことのない日々への感慨となっていました。

作り手だからこその戯曲への対峙の仕方や創意に驚嘆しつつ、シェークスピアの世界の向こうで開かれた遥か昔の時間への距離感の滅失と混沌に心を奪われ、それを眺める自らの今の立ち位置にもほろ苦く想いを馳せたことでした。

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