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青☆組『パール食堂のマリア』

2016年11月1日に座・高円寺1で青☆組『パール食堂のマリア』を観ました。

作品は再演、2011年7月の初演も観ています。

 公演の詳細については以下のリンクをご参照ください。

 http://stage.corich.jp/stage_detail.php?stage_id=77553

(ここからネタばれがあります。ご留意ください)

初演時の感想はこちら。

http://riichiro.air-nifty.com/rclub_annex/2011/08/post-5438.html

 

場内に足を踏み入れると、舞台に設えられた街の風景に吸い込まれそうになりました。舞台の間口は初演時よりむしろ狭くなったそうだけれど、空間には初演時とは異なる密度と広がりを感じる。客席の最上段で暫く足が止まる。

開演前の舞台、街灯の下には娼婦が立つ。食堂のマスターが外の椅子にすわる。猫が眠る。どこかオールドファッションにも思える甘くて切ない音楽に満たされた場内、開演までの時間に染められて、動き出す舞台上の時間に導かれます。

物語の設定やエピソードから訪れる空気や顛末は初演時の記憶と変わっていなかった。

自分の感想(初演時)の引用で心苦しいのですが、

舞台上に重なった時間たち。

 希望や夢ばかりではなく、

 時には冗長であったり

 にび色に過ぎていったり

 苦悩のなかにあったり

 心に反して折り合いをつけなければならなかった時間たち。

 それぞれの紡いだ時間は色も形も触感も違うけれど、

 たくさんの生きていく時間に編み上がった街の風情があって、

 観る側すらもその街に閉じ込めてしまうのです。

 その先には、うまく言葉にできないのですが、

 ビビッドな質感を持った人が暮らし生きることの俯瞰があって。

 同じ感慨が今回の舞台からもしなやかに訪れ、観終わっても暫くはその世界が解けることなく残りました。ただ、初演では描かれるいくつかの時代がやがてそれぞれの風景として作品の印象に収束していったのに対して、今回の舞台はひとつずつの時代に描かれるものにその中での時間の歩みが入れ子のように編まれ繋がっていくことでのクリアさと強さが内包されていました。

それはたとえば食堂の母と長女の言葉のリズムが観る側の無意識にずれなく重ねられ血や育ちを感じさせることであったり、先輩ダンサーの奔放な身体の動きとその名を継ぐ後輩ダンサーの動きに残るかすかな躊躇いの重なりに浮かび上がる先輩が歩み後輩が歩む時間の質量だったりもするのですが、それらは戯曲の筋立てや台詞だけではなく、役者達が編み醸すものから体感的に訪れ、エピソードの流れやひとつずつの刹那に更なる立体的な実存感を紡いでいきます
そうして心に残るものが場内に流れた甘くビターな開演前の音楽に溶けていくだけではなく物語にその時代の更なる今を刻み観る側に繋ぎ揺らしてくれるのです。

観終わって初演時に訪れたごとくの感慨に再び深く浸され、でも役者や作り手によって戯曲に語られることの新たな広がりを感じた再演の舞台でした。

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