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あやめ十八番 番外公演『雑種 晴姿』異なる役者の色に組みあがる門前町の風情

2015年7月22日ソワレであやめ十八番 番外公演『雑種 晴姿』を観ました。



会場は池袋シアターグリーンBASE THEATER。



門前町のお団子屋さん一家とその周りの人々の群像劇、作り手ならではの時間の広がりがあって見応えがありました。



(ここからネタばれがあります。ご留意ください)

脚本・演出・出演 : 堀越涼





出演 : 大森茉利子 金子侑加 笹木皓太 堀越涼 (以上、あやめ十八番)
熊野善啓(チャリT企画)土佐まりな 紗弓 大塚尚吾 荒井志乃(らちゃかん)岡本篤(劇団チョコレートケーキ)小口ふみか ミヤタユーヤ 片桐はづき 井上啓子





物語への引き込み方が相変わらず上手いなぁと思う。冒頭の主宰の語りがいつもながらの味で観る側を舞台の時間に取り込む。その上で、参道沿いのお団子屋の朝の風景を切り出していきます。



母、長女、次女、三女、さらには従業員のそれぞれそれのありようがそれぞれのロールの個性を切り出し、女だらけの団子屋の朝の時間を編み上げていきます。団子のつくりかたなども織り交ぜて、観る側を朝のリズムに巻き込んでいく。そうして、その空間に流れる時間が編まれると、フォーカスはそのお店の内外の風情から街の様々な景色へと踏み出していく。



団子屋の人々とそこに関係した人々、三女の彼氏、従業員の旦那、町内会の集金を通じて広がる街の喫茶店や駐車場の占い師、さらにはお百度参りをする女性の姿から妖の世界までが、団子屋を中心としたその街のとある一日の時間の中に編み、役者たちがキャラクターそれぞれに異なる時間を垣間見せて行きます。

お芝居、異なる質感でロールを担う役者の良さをふんだんに引き出していて、それが舞台全体の肌触りに組みあがっていく。

団子屋の母を演じた井上啓子の店の基調というか枠組みを支えるお芝居にはぶれがなく、女性が支える店のトーンがくっきりと浮かび上がる。



金子侑加にはその長女としての矜持と表層ののんびりした雰囲気とは異なるキャラクターが抱くある種の頑固さも作られていて、その店にしっかりと刺さる。またしっかり歌える役者の力も解き放たれていた。





大森莉利子にはどこか薄っぺらさを持った女性である表層を観る側に渡しつつその長女の性格を見て育った次女の雰囲気が作りこまれていて、その家の空気を満たす家全体の雰囲気を裏から出し入れをする芝居の目配りというかしたたかさを感じる。





三女の小口ふみかも本当によいお芝居、キャラクターの内にあるその年代の女性としての頑なさと曖昧さが垣間見せる想いの移ろいとして編み上がっていて、しかも、母や長女と次女の描くものに寄り添い伝わってくる。その年代の自らへの無自覚さや焦点の定まらなさと一途さの揺らぎがとてもビビッドで、日々の色が定まった団子屋の時間に鼓動をあたえ、その家に流れる時を母とは別のベクトルから束ねていく。笹木浩太が演じる三女の同級生がキャラクターの想いの半歩内側から照らすものが、単に男の不器用さだけではなく、彼女の内側を染めるものに実存感を与えていくことにも感心。このカップルのありように惹きこまれる。





荒井志乃が演じる頼れる従業員のその昔のやんちゃぶりには納得できる意外さがあって、そのキャラクターの舞台上の時間での人が変わっていく顛末が差し入れられていた。彼女の旦那を演じた大塚尚吾が街に生きる人の肌触りを舞台に置きつつ、彼女と同じ時間を裏打ちして彼女の歩みを際立たせる。



団子屋の外側に置かれ差し込まれていくエピソードたちにも様々に醸される色合いがあってそれが街の広さへと変る。
団子屋とのつながりをルーズに保ちつつ、街の喫茶店のマスターを演じた熊野善啓が抱く彼の日常の良い意味での弱さや凡庸さやヘタレ感が、
妻を演じた片桐はづきが語る夢とともに、そこにある時間の膨らみへと紡ぎ変えられていくシーンも良い。その顛末に心惹かれているうちに観る側が感じる街の空気にはさらなるひとつまみの感触が与えられていく。



岡本篤が演じる駐車場の占い師も出色のお芝居、その風情が観る側が抱く街の景色のアクセントにもなり、ウィットとともに団子屋の姉妹の素顔を引き出し、その上で妖の世界を開く違和感を消し去って観る側を更なる世界に踏み入れさせる。紗弓が演じるお狐さまが街の空気を崩すことなくこの街に息づく人ならぬものの世界があって、それを気配から実態へと裏返す役者の色にもしっかりと捉われる。
お百度まいりの女性を演じた土佐まりなが占い師との会話に解く想いにも観る側の心を招きいれるピュアさや実存感、さらにはその先に想いの揺らぎの質感があって、それが街の事件の感触にすっとほどけていく成り行きもしたたか。
道場の新人を演じたミヤタユーヤに至るまで役者が異なる尺の存在感を舞台において、それが風景に浮かび上がる感じにすっかりとはまりこんでしまう。



楽隊もしっかりと働いていて、吉田能、丸川敬之、森村典子が奏でるC&Wが不思議にマッチするのも面白い。語られる街の景色とは少し乖離していても、その街が歩む時間をすっと広げていくのも不思議。

そうして役者一人ずつを楽しんで・・・、でもこの舞台には、それだけでは終わらない、役者達のよさだけにはに支配されない舞台全体の存在感がちゃんとあるのです。

昔、どこかのお寺のパンフレットで読んだ記憶があるのですが、古い日本の木造建築には金釘を使うことなく建てられているものがたくさんあって、今でも宮大工の方々にはその技術が受け継がれているのだそう。釘を使わず木を組んで作られた建物は、木が持っている湿度や音頭の変化に対しての耐性が建物の強度として生かされるとのこと。
見終わって、参道の先の寺社を創造しているうちに、舞台から訪れた朝な夕なや、日々や、季節や、年や、時代が、物語がなにかに束ねられることも打ち付けられることもなく組み立てられ重ねられていくような感覚とその建築手法の話がふっと重なった。



役者が丁寧に研いだ登場人物それぞれのいろんな時間が、貫かれ、内となり外となり、ゆるやかに、しなやかに、ひとつの街の時と景色の俯瞰に組みあがる。にもかかわらず、観終わっても舞台に流れる時間にエピソードを止めおくことを強いる釘が見当たらない。でも、そのことで、昔の木造建築がそうであるように、描かれる世界に、多少撓んでも、緩んでも、やがて舞台全体が参道や裏道の空気に戻っていくような復元力が感じられる。そうして作られた街全体の肌触りには、綿々と続く街の時間の流れが紡ぎこまれていて、その感触に取り込まれ、浸りこんでしまいました。





作り手には、手だれの宮大工の如くこの手法で描きうる世界が更にいろいろにあるようにも思えて、いつか、その世界を観る事も楽しみになりました。



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