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渡辺詩子企画展 『視曲線』、新たな表現の肌触りを与えられた3つの空間

2015年4月17日と19日の二日間で渡辺詩子企画展『視曲線』のA・B両プログラムを観ました。

会場は浅草ライオンビルスタジオ。

演劇や絵画といった既存の枠組みを踏み台にして空間とともに語る3つの作品、さらには飾られた絵画のひとつずつに、観る側を異なる感覚に染める力があって。

心を奪われる3作品や絵画でありました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

脚本・演出・ドローイング 渡辺詩子

17日ソワレにプログラムB、19日マチネでプログラムAを観劇

・プログラムB『あなたに花束』 3

羽柴真希 与古田千晃

次第に解かれていく状況の絶妙な硬質さとあいまいさに惹かれる。会場の空気に平板になることなくしなやかに女性達が抱くものが広がる。冒頭は壁の影とともにあった彼女たちの存在感が、次第に彼女たちの呼吸に置き換わる感じも良い。

 

登場人物たちの全てが観る側に訪れるわけではないのだけれど、そのことがむしろその部屋にある二人の不思議な同床異夢感となり観る側を誘い込んでいきます。

それぞれの感情の理も、組みあがるというよりは、物語の時間の展開の中ですっと現れ腑におちるような物語のフレームの晒し方があって、その一方でラストのありようにはしっかりとした伏線が張られていたりもする。緻密さと柔らかさのどちらも作りこめる間口が戯曲にはあって、そこに役者それぞれの呼吸が映え、時にはスッと受け取れない刹那もあるのですが、だからこそ生まれる厚みが戻ってきたりもする。

観終わって、その時間と空間から受け取ったものと隠されたものが、それぞれに二人のありようを観る側に更にじわじわと広がっていくような感覚が残って。

少しの間、ぼーっとその空間の余韻に浸ってしまいました。

 

・プログラムB『パレット』 1

日下部そう 福永理未 渡辺詩子


明るい喫茶店ふうのスペースでの男女の会話劇、人待ちをする男性と、そこに現れた女性、さらにはその店のウェイトレスも加わっての会話劇が始まります。二人の注文はカフェオレとオムライス。女性のわがままさにも、男性の気の弱さにも、密度を保ちつつどこかPOPな薄っぺらさを感じさせるバイアスがかかっていて。

 

で、二人の間に閉塞感が漂って、そこに男性からのサプライズが供される時、作り手も観客から男性の視座からの女性のありようを描き出すサプライズを仕掛けます。

 

カフェオーレから遅れてテーブルに運ばれたオムライスからウェイトレスが絵の具を取り出して、女性の姿を男性が気づいた彼女の姿に描き変えていく。まさにその瞬間、演劇として紡がれたものがパレットとなり、その空間にある女性の印象が鮮やかに描かれていく。

 

これ、面白い!

 

そこから、空間が再び演劇の世界に渡された時、男性の女性の印象を感じるのとおなじ深さの心風景や抱くものが紡がれるのも、したたかだなぁと思う。

 

 

すっと演劇から踏み出した作り手の表現に冴えを感じ、観終わっても異なる表現の束ねによる新たな踏み出しに接したわくわく感が抜けませんでした。

 

 

・プログラムA『午後三時、ホワイエで』

出演 : 奥野亮子 宮本奈津美 芝原弘 遠藤留奈 仲坪由紀子

 

精神病院で療養する女性を訪ねてきた友人たち、そして彼女の同室の女性と看護師の時間が綴られていく。冒頭に舞台に登場する主人公と女性の友人のくっきりとした質感の違いに目を惹かれつつも、それぞれのキャラクターが自らの特別なことを語ったり、それぞれの背景を恣意的に切り出したりするわけではなく、ひとりずつもその空間に対してとても自然体に思える。でもそこにあとから現れる男性が差し入れる視座が、新たなベクトルをつくり、冒頭の主人公にも、その

友人にも、主人公と同室の女性にも、台詞とは全く異なる想いの脆さや支えきれなさを垣間見せ、その感覚を観る側に焼き付ける。健常人としての表層の崩落をぎりぎりで支えるような脆さが行き場を失った感触として息を呑むような解像度で残る。

 

終盤のひとつのパンが作り出す波紋も心に残りました。その光景が物語の一番外側で看護師が組む規律とそこを支えとして立ち続けようとする主人公の関係を切り出す。語られない彼女の心を支える仕掛けとそれを受け入れる彼女の想いの不安定さや不器用さに、終演後もじわじわと浸潤されてしまいました。

 

 

***********

 

2Fに展示された絵画にも心惹かれるものがありました。

 

絵それぞれから最初にやってくるのは頑なさなのですが、絵をながめているうちに、その頑なさがぬりつぶされたものではなく半分透けていて、奥からは描かれたものの鼓動や息遣いが訪れる。

 

こちらにも見入ってしまいました。

 


戯曲や役者たちの演技を映えさせる、3つのフロアそれぞれの空気がしなやかに取り入れられた舞台であったように思います。

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