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オーストラ・マコンドー『家族』、映画の時代からの未来、今に重なる懐かしさ

2015年3月7日ソワレでオーストラ・マコンドー『家族』を観ました。

会場は吉祥寺シアター。

「小津安二郎に捧ぐ」との副題がつけられていて、実際に監督の『東京物語』などのエッセンスがしなやかにとりこまれていて。
たまたま映画を暫く前にテレビでみていたことで、さらなる広がりを感じることができたように思います。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

脚本・演出 : 倉本朋幸

出演 : 趣里、松本紀保、久保貫太郎、枝元萌、後藤剛範、カトウシンスケ、MOGMOS、松永大輔、でく田ともみ、豊川智大、飯田彩陸、太一、康喜弼、伴美奈子

中央に東京とその家のスペースがおかれて、舞台上手と下手が兄弟たちの家。
未亡人の主人公紀子について、その命日なのでしょうか、同級生たちが話を始めて、そこから物語に導かれていきます。

東京にやってきた亡夫の両親を兄弟たちはそれぞれの事情で世話することができない。で、在京中、紀子は甲斐甲斐しく世話をするのは映画と同じ。
ただ、舞台でしか描き得ない温度があって、舞台の作りや、シーンごとの重さのバランスが、物語の構図をすっと観る側に落とし込む力となり、その中に登場人物の距離感が息を呑むほどに丁寧に編み上げられていく。
中でも紀子と義理の両親の時間が圧倒的、趣里が演じる紀子が口癖のようにつかう「いえいえ・・」という返事が一度ごとに異なるニュアンスを編み、場ごとの空気の細微を描き出していくことに心を奪われる。紀子、そして彼女と呼応してその想いを受け取る両親の一瞬ずつにがっつりと捉われてしまう。
また紀子の義理の兄弟たちの家庭にしても、キャラクターの風情をすっと立ち上げる役者の力量に裏打ちされていて、雰囲気がまず訪れ、そこからそれぞれの事情が解けていくことで、彼らの日常がとても自然な肌触りで観る側に伝わってくる。その感覚が紀子と両親の時間マージして、気が付けば、紀子を取り巻く世界がすっと観る側の腑に落ちてくる。

実を言うと、描かれているものは、スカイツリーがあるような今の風景やそこにあるマインドからすると少し古風な感じがします。家族の事情や紀子の家に義理の両親が泊まっていることなども少々奇異にすら思えたりもする。にもかかわらず、舞台にはかつての家族が当たり前に抱いていた感情を解きほどく力があって、その違和感をなんともいえない懐かしさにまで解き、やがては観る側を浸していく。冒頭の同級生の風情にしても、子供たちの遊びにしても、少々セピアががかった色を感じたりもするのですが、作り手はかつてこの国では当たり前だった温度の記憶を観る側にしたたかに蘇らせていくのです。
観終わって、役者達の人間描写のしなやかさに感じ入りつつ、その先に、舞台に醸された感覚に浸り自らの幼いころの親戚などのことを思い出していました。

ただ、この舞台に小津安二郎が映画に描いた世界を重ねると、家族や親族のありようを次代の流れの向こう側とこちらから見ているような気がする。
随所に登場人物たちの家族という概念に対する想いの普遍を感じたりもするのですが、そうであっても、映画を観終わって残ったのは、作られた時代(1950年代)のそれまでの日本の濃密な家族の絆が東京という街や核家族化の時代の流れに崩れていく中での孤独や不安だったし、この舞台に描かれたものは、そんなものをはるかに通り越した時代の、むしろそのような家族のつながりですらオールドファッションというか懐かしいぬくもりに思える感覚だったりする。

たとえば東京を訪れた母親がすぐに亡くなるのは映画も舞台も同じ。でも、その先に紡がれる、紀子や残された家族の心情は二つの世界で全く逆の歩みのように思えた。そこに、この国が歩んできた時代の揺らぎや変遷がすっと浮かんできたりもして。 実は、終盤に現れる映画にはない設定の未だ自らの家族を持たない末っ子が、今の家族の感覚を一番背負っていて、それは不安定だけれど、でもとても今のありようにも思える。

舞台に描かれた家族の感覚が、この先の時代の時代にどのような変遷を遂げていくのか、舞台に醸された温度を抱いたままの劇場を出ての帰り道、吉祥寺の人の流れに身を任せながら、家族の形というものは、いつの時代にもどこか定まりきれずに、でもきっと時代の歩みに折り合って、崩れることなく移ろい、変っていくのかもしれないなぁなどと思ったりしたことでした。

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