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鵺的『丘の上、ただひとつの家』、毒気を抜かれたその先に

2015年2月11日ソワレで鵺的『丘の上、ただひとつの家』を観ました。会場は新宿三丁目のスペース雑遊。

物語は、鵺的テイストで広がって、でも、その先には、驚愕がありました。

面白かったというのとは少し違うけれど、深く心を捉えられ、これまでとは異なる作り手の世界観に深く浸されてしまいました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください。)

脚本・演出 : 高木登

出演 : 井上幸太郎、奥野亮子、宍戸香那恵、高橋恭子、生見司織、平山寛人、古屋敷悠、安元遊香

会場には三面に客席が設えられている準囲み舞台。長女と弁護士の会話から物語が始まります。

父が残した手紙に従って指輪を渡すためにその家の長女が母を探す前半、彼女の夫、妹の存在、依頼をした弁護士によって示された異父姉弟、長女が突然家を出ていった母親に向かっていく中での、複雑な家族関係がそれぞれの想いと共に少しずつ解けていく歩みに、次第に嵌りこむように捉われていく。

作劇の企てが随所に冴え、その一歩ずつに、登場人物たちから訪れる温度や頑なさの質感の異なりがあり、丸められることなく、徒に観る側を惑わせることなく、解けるものとその内に隠されたものが刹那ごとに移ろい、観る側に置かれていきます。その展開をもどかしくも感じ、晒されていくものに息を呑みつつ、舞台は広がり、閉塞し、さらに剥がれて、やがて母を探す姉妹と母を隠そうとする姉弟の闇との想いの重なりに姿を変えていきます。

作り手の女性弁護士のロールの設定や担った役者のお芝居が実にしたたかなのですよ。冒頭から物語を組み上げ、その移ろいに緩急をつけ、舞台に晒すものと隠すものを切り分けていきます。テレビドラマのようなシーンがあったりもするのですが、それがゾクっとくるようなかっこよさを醸してもあざとさにならず、物語のトーンを変えることなく厚みを作り新たな展開を導いていきます。しかも、単なる狂言回しとして物語を支えるだけではなく、終盤には自らも抱くものを切り出し、キャラクターに血を通わせて、その存在を場の色から乖離させないのです。
彼女によって、登場人物たちそれぞれの立ち位置や想いが混濁することなく観る側に置かれ、晒され、そのコアにある母親へと観る側を引きよせていきます。そして、舞台上に母親のピースが差し入れられる。

その母親のお芝居が、もう様々に圧倒的でした。最初、声だけが聞こえてくる演出も上手くて、その段階で二組の家族がそれぞれに捉われた想いに対してこれは駄目かもという予感を感じさせる。しかも予想すら凌駕する彼女の風貌や態度や言葉が、キャラクターそれぞれの救いや癒しを願う観る側の微かな期待さえもしっかりと打ちのめしていきます。自己中心の権化というか、場の空気を読まないし、自分を正当化するし、他の想いを感じることができないし、理解しようとすらしない。挙句の果てには自らの行いを棚に上げて、子供たちにアドバイスすら始めることに呆然。そのありように、苛立ちとか怒りを感じたりしなかったわけではないのですが、なんだろ「毒気を抜かれる」というのはこういうことを言うのでしょうね、なにか彼女を変えることはできないという確信や諦観にそれらは埋もれてしまい、それまでに物語から受け取ったもののやり場を失ったような気持で、母親とその子供たちを、冷静に見つめてしまう。

ずいぶんと酷い話だと思う。でも、その母親を観て語ることを聴いていると、もうどうしようもないことだとと思うのです。それは、子供たちが捨てられたことも、近親で関係することも、子供がネグレクトされたことにしても、すべては母のモラルハザードからのことかもしれない。、でも、そうであっても、それを抱きつづけなければならなくても、恨み続けていても、目を背けても、子供たちは生きていかなければならない。母親を演じた役者には、この母親をして自分の子供たちや観客にもそう思わせるだけの力がありました。

母親は冒頭の長女に子供だけは産めという。それが長女の抱く迷いを解いていく。
一人の母親を持つ二組の家族は、次に会うのは母親の葬式の時かもしれないともいう。それらは、作品が、二組の家族がとりあえずそこから歩み出したことを観る側に語りかけていることのようにも思えた。

母親や弁護士以外を演じた役者にも確かな力を感じる。家族たちや彼らの周りの人物を担う役者たち一人ずつに、ロールを自分の肌のようにまとい、演技にしっかりとした密度や想いの遷移を描き出す確かさがあって、終演後もその印象が霧散することはありませんでした。、また、舞台美術なども、舞台自体の歪みやいすのなどの形状に作品を支える創意と工夫を感じ、奥の壁面に作られる窓枠上の影やそこに映る人影にもニュアンスや立場の切り分けが生まれていて。
観終わって、ずいぶんとタフでビターな話だなぁとは思ったけれど、閉塞や絶望に居場所を作らなかった物語の結末に、作り手の新たな境地を観た思いがしたことでした。

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