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コマイぬ よん吠えめ 『葉桜/命を弄ぶ男ふたり/驟雨』実直に紡がれ冴えを持った岸田ワールド

2014年11月27日ソワレにてコマイぬ『葉桜/命を弄ぶ男ふたり/驟雨』を観ました。

会場は東上野のGallery & Space しあん。

岸田戯曲3遍を極めてルーズなつながりの気配とともに並べての上演。会場の雰囲気が戯曲が描く時代の風情と重なり、一つずつの戯曲が実直にほとかれる中から、それぞれの作品が内包するものや役者たちが紡ぐ冴えのようなものが訪れぐいぐいと捉われていく。

観終わって古典が演じられたという印象だけではなく、むしろ作品の描き出すものの今に通じる部分や、個々のシーンの繊細な、あるいはビビットな、時に鮮やかな印象がくっきりと残りました。

徒に身構えることなく、供された3品の充足感に深く満たされたことでした。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

脚本 : 岸田國士

演出 : 元田暁子

・葉桜

出演 : ほたる・若林えり

初日の第一演目めということもあってか、最初はちょっとお芝居が硬い感じがしました。台詞が役者に十分抱かれることなく手放されて行くような部分もあり、戯曲の枠組み自体がやや強く場を満たしていくようにも感じました。
しかし、後半に役者の感情が場に刻まれていくと、会話のリズムが風景を紡ぎはじめ、戯曲に紡がれた母と娘に訪れる時間に、地のふくらみを恣意的にすこしだけ減色して浮かび上がる日常のなかの非日常の感覚が生まれていたように思います。

ほたるには母親の頑迷さを醸す演技の間口がありました。若林えりがそこにつくる温度差も舞台の空気に対して徒に強くなることも単調になることなくうまくコントロールされていました。

・命を弄ぶ男ふたり

出演 : 渡邊りょう・芝原弘

男2人の会話劇、照明や音に加えて場が醸す時代が役者たちの醸す空気の張りにうまく織りこまれ、観る側を一瞬に古民家の一室から、夜の線路脇へと連れ出してくれる。
舞台には役者たちが作りこむロールの異なる色や噛みあわないベクトルをすっと薄闇に溶かしてしまうような風景が浮かび、よしんば戯曲の顛末を熟知しているはずなのに、一つずつのセリフや所作に編まれるそれぞれの想いのベクトルや温度に取り込まれてしまう。
この戯曲に編み込まれた、表層のタフさとは異なる想いの脆さや生きることの危さや強さが、徒に追い込まれる感じではなく人に裏打ちされた淡い影の如くに伝わってくる。
そこには、ふたりの軽質さやボーダーぎりぎりに置かれた可笑しさやペーソスと更に深淵に広がる闇が同居していて、互いに徒な重さを持つことなく、役者たちの作りこむ刹那に交互に照らされていくような感じもあって。

渡邊りょうには、代役での急遽登板をおくびにも感じさせない解像度を持ったロールの組上げがありました。また上手く言えないのですが、この人内側の揺らぎや弱さの表層から受ける印象との距離感のようなものが抜群によい。同じ良さは芝原弘にも感じるのですが、その緩急のつけ方に異なる肌触りというか質感があるのも面白く、舞台の印象を単調にせず観る側を飽きさせない力にもなっていました。

観終わって、かつて何度も舞台で観た良く知っていた作品でありつつ、戯曲のおもしろさが初めてわかったような気がしたことでした。


・驟雨

出演 : 金子侑加・芝原弘・若林えり

夫婦に新婚旅行から帰ったばかりの妻の妹が訪れる話。従前の2作で紡がれたキャラクターの色が持ち込まれ、場に既知感を感じつつ舞台の空気にすっと誘い込まれる。

姉と妹の会話にとてもナチュラルな阿吽の呼吸があって、それゆえの妹の告白のぎこちなさやもどかしさにも違和感がなく、ほとんど無意識に妹が抱くも ののありようを追い求めてしまう。
そうやって観る側を場に取り込んだ上での妹役の金子侑加が心情を解く演技はまさに圧巻でした。絶妙にバイアスがかかった台詞が、その時代の女性としての想いの抑圧を超えてあふれ出してくるものとなり、場の雰囲気に留まらず観る側までも凌駕していく。そこには逡巡があって、熱があって、強さがあって、押えられたものと押えきれないものの端境の揺らぎがあって、理をもちつつ若さゆえの料簡の狭さを垣間見せるその想いが全部のせのように溢れながら、混濁することも混沌に陥ることもなく、解像度を滅失させることなく、血の通ったロールの色や個性のありようとして納められていく。引き出しの豊かな、しかも個々の引き出しにクオリティを担保できる役者さんだと思ってはいましたが、それでも今回のお芝居には常ならぬ驚きがありました。

さらには、その出色の演技で綴られる妹のありように埋もれてしまうことなく、若林えりの演じる姉や芝原弘が担うその夫が個性を貫き、物語を描かれるものの懐を組み上げていくことにも目を瞠る。『葉桜』を観ていても感じたのですが若林えりには自らがシーンを背負う力に加えてスーパーバイブレイヤー的な才もあって、いくつもの刹那に彼女がさりげなく場を支えることでシーン自体が軋むことなく、さらにはここ一番で場に負けない演技の底力をみせることでその構造や空気が幾重にも広がり、かつとてもクリアに伝わってきました。

そうして満ちた舞台の更なる踏み出しをすっと切り落とす、戯曲に仕掛けられた驟雨の幕切れが息を呑むほどに鮮やかに感じられたことでした。

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