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青年座『台所の女たちへ』女性が生きる今への二つの俯瞰

2014年8月21日ソワレにて、青年座『台所の女たちへ』を観ました。
会場は代々木公園/代々木八幡駅からほど近い、青年座劇場。

女性たちの時間を渡って作り出す視座が、刹那ごとの質感に、実存感や立体感を与えていく。
作劇の仕掛けと、そこに役者たちが編み上げるものに、しっかりと捉われてしまいました。

(ここからネタばれがあります。掲載が公演期間中でもあり、十分ご留意いただきますようお願いいたします)

脚本・演出 : 田村孝裕 (ONEON8)

出演 :久松夕子、山本与志恵、上杉二美、増子倭文江、ひがし由貴、小林さやか、松熊つる松、片岡富枝、野々村のん、加茂美穂子、尾身美詞、山﨑秀樹
児玉謙次(声の出演)

二つの世代の女性たちの物語。冒頭の語り口に絶妙なルーズさがあって、舞台がすっとお通夜の時間に導びかれる。台所の、多分久しぶりに顔を合わせたであろう親戚やその家にかかわりのある女性たちの会話や所作がとてもナチュラルに観る側に積み上がっていきます。
最初は登場人物の関係も良く分からないのですが、むしろそのことが葬式の肌触りを醸し出したりもして、急ぐことなく、ところどころに笑いが差し入れられつつ、一歩ずつ舞台にその家の物語が組みあがっていく。

親の世代の姉妹関係がまず示され、そこに交わる会話から親子の関係が訪れ、その家に関わる人物たちのことも織りこまれて。座敷から時折聞こえてくる弔問客たちの笑い声を聞きながら、台所でもちょっとした昔話が始まる。一方で従姉妹たちの会話などもあり、親の世代が歩んできた過去や、従姉妹たちがそれぞれが抱える今もそれらの中にさりげなく差し入れられていく。

やがて登場する妾的な女性とその娘も含めて親子の風貌や性格のリンクがとても上手く作られていて、必ずしも一心同体という感じでもないし親子の間での確執や反発なども当然のことくにあるのだけれど、でも言葉や所作などから感じられる血の争えなさが絶妙に機能して観る側にロールの印象がきちんと繋がりとなって残る。だからこそ、思い出話が回想シーンへと歩みを進め娘のロールを担っていた役者達がそれぞれの親を演じる時、観る側に刻み込まれたその重なりが女性たちの生きる感触への常ならぬ広がりへと変わっていくのです。

下手に設えられた葬式の案内がくるりと廻り、親たちを演じていた役者達が舞台の両脇に控えるなか、娘を演じていた役者達によって先代の葬式の日のディテールが語られていく。姉妹間のトイレの順番に始まって前半に紡ぎいれられた幾つものエピソードが伏線として鮮やかに機能する。冒頭の時間を生きる女性たちを肌触りをそのままに、同じようなビビッドな時間が生まれ、さらには、舞台周りの、そこから時を歩んだ女性たちの自らの時間への回顧や感慨なども差し入れられる。
圧巻だったのは、跡継ぎの男子ができなかった正妻と子供を作る様に頼まれた女性が話し合うシーン。舞台上の修羅場の密度に息を呑み、そこにあるキャラクターが醸し出す色に見入ってしまうのですが、周りの女性たちの視座がそこに重なると、そこに女性たちの歩みの感覚が生まれて。舞台上の今に塗りこめられたことも時を隔てて語られ、そこには女性たちが歩む今とその先への視座と歩んだ先から彼女たちのその日々を眺める視座の織りなす俯瞰が訪れる。世代を超えて、女性たちが人生の歩むこと中での普遍が物語の顛末にその肌触りとして編まれて、登場人物が抱く今がその普遍と共に観る側に歩み入り置かれていく。

観終わって、青年座の女優達が精緻に編むキャラクターが本当にしなやかに舞台を支えていたことに思い当たって。登場人物のどの個性もその感触が滅失することなくくっきりと残っているし、加えて血のつながりを単なるミミックではなく根底にあるキャラクターの色や性格の端々を様々な深さで合わせていく力にも驚嘆。それも、役者達がロールの折り合いをつけているというのではなく、そのありようを研ぎ攻める中で束ねられていくような感じがあって心捉われる。

ただ一人の男も良く作り込まれていて、でも男って所詮女性が抱く強さには勝てないよなぁという、感慨までがのこりました。

それにしても、劇団の中でこれだけの仕掛けを自らの団員と小屋で作り上げることができるというのはとてつもなく豊かなことだと思う。

青年座のお芝居をそれほど見ているわけではないのですが、そうであっても、劇団が積み重ねた歴史の力を感じることができ、また、その歴史に留まることなく積み重ねを糧につつ新しいものを取り込みさらに歩みを進める姿勢が、この作品を結実させたようにも感じました。

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