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アロッタファジャイナ『安部公房の冒険』対比に編まれる明確さと繊細さ

2014年8月25日ソワレでアロッタファジャイナ『安部公房の冒険』を観ました。
会場は新国立劇場 小劇場 THE PIT。



骨組の明確さを支える戯曲と様々な対比を作り出す舞台の仕掛けに、役者の描き出すものが、淡々と奥行きをもった生々しさをかもし出す舞台でした。



(ここからネタバレがあります。ご留意をいただきますようお願いいたします。)

脚本 : 松枝佳紀



演出 : 荒戸源次郎



出演 : 佐野史郎 縄田智子 辻しのぶ 内田明



小さいところでのお芝居を観ることが多いので、THE PITの空間はどこが「小」劇場なのかと突っ込みをいれたくなるくらい広く感じる。 特に前方の席だと高さに圧倒されたりも。
でも、舞台が始まると、でも、その広さだからこそ4人芝居が描くものがすっとはまる。道化が綴っていく男の評伝的な部分も、ノーベル賞云々とすら言われた男の才のほどばしる姿も、家庭でのありようも、狡さとも感じられる男の姿も、その舞台の広さとともに混濁することなく研がれ、したたかに切り分けられて、舞台に置かれていく。前半には一人の男のパブリックな部分とプライベートな部分が、それぞれに羽を広げるスペースが舞台にあって、そのどちらの側面も、彼の一面として他の側面を浸食することなく舞台に置かれていく。

舞台に彼を多面的に織り上げていく仕掛けがいろいろになされていました。まず道化が物語の輪郭を軽妙にくっきりと描き出す。主人公の外面というかパブリックな部分が紡がれる上手のリビングダイニングを思わせる舞台には光があり、静謐な中に内なる熱を育む研究室や書斎の押さえられた色調との対比が生まれる。鮮やかな赤と生成りの質感を持った白に色分けされた二人の女性の衣装の色がそれぞれに印象を刻む。消えものや小道具の有無なども観る側にとっての暗示になっていて、たとえば上手の食卓に並んだ朝食や手に取る新聞などが男の外面を導き、小道具をなにも持たず女性とある下手の空間には舫いを解かれた彼の内面の想いが広がる。

それらの仕掛けの中に、緩急としなやかさをもって、男の姿が編み上げられていきます。キャラクターの表の部分の見せ場でもあるあふれ出すような才気とその果実が熱と高揚とともに語られるとその裏側には、妻、教え子の女学生との間を行き交う男の姿が置かれ、男の自らを御することのない、幼くすら思える部分が観る側を捉える。役者が語る台詞や所作にさまざまな一面を纏う男の感触が立体的に観る側の腑に落ちる。しかも、それらの束ねる役者が醸すものには、単に整合性をもって人物を組み上げるのではなく、少しずつ揺らぎが差し入れられて、生まれる密度の細微なほつれにキャラクターの実存感や内に抱くものの肌触りが育まれていく。
終盤、かつて小道具をもたなかった女性が本を持ち舞台上の対比が崩れ、妻との別居も語られて、彼からエッジの効いた表裏が薄れ消える。その中での、二人の女性のそれぞれに彼を受け入れようとする姿も異なる光となり老境の彼を照らす。それは、主人公を一面にとどまらず引き出す表裏とは別に若い彼と老境の彼を浮かび上がらせる対比ともなって。幾重にも置かれたと作劇の企てと、そこに血を通わせていく役者達のお芝居の洗練に時間を忘れて見入ってしまいました。



主人公を演じた佐野史郎の演技には、大雑把さと繊細さの絶妙なバランスがあって、常に観る側にしたたかな不安定さと観る側のテンションを差し込んでいく。ロールのいくつもの色合いを、場の空気に束ね映えさせていく中に、役者の感性から訪れる手作りでのさじ加減のような風合いがあって掴まれてしまう。
妻役の辻しのぶには、ロールの華の部分と影の部分を共に一つの人格として観る側に置くだけの演技の切っ先と奥行きがあって。
愛人役の縄田智子には、ロールが抱く心情を空間に埋もれさせることなく常に舞台に置く存在感がありました。男にとっての愛人から母に変わるような部分での、ロールを塗り込めることなくあいまいさと強さを作り出す演技の組み方にぐいっと惹き込まれたりも。
道化というか狂言回しを演じた内田明は、物語の枠組みを語る無機質な部分と空気の色を定めるようなシニカルでウィットを持った語り口で舞台をしなやかに支えていました。



まあ、正直なところ阿部公房の著作自体や舞台については知識があまりなく、私的には主人公の姿をより満ちたものとして受け取るための自らの素養が欠けていたように感じ、むしろそのことで、役者達がそれぞれに描き出す人物の貫きや揺らぎにより捉われたりも。一人ずつの役者の空間を纏って舞台にある強さと、その広さを力として戯曲の骨格の中に血を通わせていく刹那の繊細な紡ぎ方、なかでも男が老境に足を踏み入れる中での其々のロールに編まれた色の移ろいが印象に残りました。

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