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月刊根本宗子第9.5号『私の嫌いな女の名前、全部貴方に教えてあげる。』モチーフにも作劇にもぞくっとくる舞台

、2014年8月22日ソワレで、月刊根本宗子『私の嫌いな女の名前、全部貴方に教えてあげる』を観ました。会場は中野・テアトルBONBON。

「月刊根本宗子」はもしかしたら、今、東京の小劇場界でももっとも勢いのある劇団のひとつかもしれません。今回公演も早々に前売りは完売。開演前から客席にも熱気がありました。

ここから先の記述にはネタばれがあります。十分にご留意ください。公演期間中の掲載でもあり、これからご覧になる方はなにとぞ観劇後にお読み頂きますようお願いいたします。

脚本・演出・出演 : 根本宗子(月刊「根本宗子」)

出演 : 土屋シオン、早織、墨井鯨子、あやか、石澤希代子、長井短、龍野りな、小西耕一、梨木智香(月刊「根本宗子」)

 舞台には上下に2つの空間が設えられていて、同じ時間が流れていきます。前半の下の空間には男女比のアンバランスな合コンの中で、集う女性達の個性というか、タイトルにあるが如くに女性から見て嫌な部分が次第に解けていく仕掛けがあり、上には一人自分の部屋で過ごす根本(ロール名)の姿があって。

 上下の全く異なるテンションやありようが、互いの空気の肌触りを際立たせます。下では一人の男を巡る駆け引きや闖入者もあり、一方上では本を読んだり、パソコンをいじったり、ちょっと部屋から出て行ったりといった女性の感覚があって。

やがて、上下の関係も解けて下の在り様も上に伝えられる。もう、そこまでで十分な見応えなのですが、物語にはそこからの踏み出しがあってさらに取り込まれる。

 時は歩み、舞台は上に移っての、もて男と根本さんの痴話げんかはもう圧巻。そこから溢れる物が、唐突感を感じさせることなく観る側を突き抜けた結末へと導いていく。

 役者達の出来が本当によくて、それぞれがロールに対する異なったしかも絶妙なバイアスのかけ方で、物語の展開に寄り添いながら女性の風貌とそのありようを観る側に解いていきます。カラオケ店の店員のちょっと鬱屈したキャラクターを担う小西耕一やアイドルロックバンドのボーカルというキャラクターを背負う土屋シオンがキャラクターの色をよく作り込んでいて、そこに交わり晒されていく、たとえば龍野りなが描く女性の才能を持った男への惹かれ方や、長井短が纏う美しさを持つ女性のゆとり、あやかから解ける居場所や体面を求める女性の姿や、墨井鯨子が尖らせていくハブられる女性の想いの内外、石澤希代子が作り込むアイドルに全てをささげる女性の強さ、そして何よりも早織が醸し出すさりげなく男を惹きつけ抜け駆けをする女性の狡さに目を奪われる。梨木智香が演じる店員がぶれることなく差し入れる普通の女性の表層の感覚が基準線となり、上の女性が醸すイノセントな時の感覚に、下の空間の有象無象が見事に映える。

上に編まれる時間もしなやかなパフォーマンスに裏打ちされていて演じる根本宗子も上手いなぁと思う。ベットで本を読むにしても脚を動かしたり右足で左足を掻いてリラックス感を醸したり、パソコンをするにしても微妙に心ここにあらず感を垣間見せたり、部屋からの出捌けも目の隅に留まるようなさりげなさがあって・・。それらの重なりが、漫然と彼の帰りを待ちつつ一人で過ごす女性の時間を刻み続け、質感を観る側に伝え、対比となって下の空間に満ちていく禍々しさに更なる際立ちを与えていくのです。

また、それらの表現の一つずつが、単に刹那の印象として羅列されるのではなく、物語を歩ませるドミノのピースとなっていて、前半の女性たちや男のありようもその顛末の中の必然に裏打ちされつつ滲みだしてくることにも感心。だからこその概念に留まらないロール達の抱くリアリティがあり、その実存感が時を隔てた上方の空間での痴話げんかに浮かび上がる根本が抱き続けた感覚のシードともなっていく。

 痴話げんかの組み上がり方にも舌を巻きました。表層の良く馴染んだ蜜月の男女の関係が、そのシードから芽生え膨らんだものに蝕まれた女性の内心の解け方に姿を変えていく歩みが一歩ずつ目を瞠るような解像度で描かれ、そのことがボーダを超えた男女の踏み出しに理を与え、展開に違和感がない。

シーンの内側のドミノから訪れるものがシーン間のドミノのピースとなり、その重なりがタイムスタンプされた場を繋いでいくドミノとなって、終盤の突き抜けに至る。

しかも、ラストでは、そうして根本さんから溢れ出し場を凌駕したものの脆さをあざ笑うかのように、ジョーカーの如き女性の想いが訪れさらに踏み越えていくのです。

そのワンシーンに女性が抱く信念や狂気や高揚に圧倒されつつ、一方で、彼女の視座からのそこまでに描かれた女性たちの姿が切り出されたりもして、作品にさらなる厚みを感じたことでした。

まあ、ロールのネーミングなども含め「私の嫌いな女の名前、全部貴方に教えて・・」もらえたかはさて置いて、男性にしてみれば、自らが感じる女性の印象と女性から見える女性の姿の異なりがあからさまに切り出されていてぞくっとくるのですが、でも、そのことだけが舞台の到達点ではなく、ひとりの女性の想いの移ろいこそが、観る側に細微にしっかりと焼きつく。

 単に顛末やひとつの色合いを描くのではなく多様な広がりを作品の切っ先に束ね観る側に渡していく、作り手の作劇の確かさと冴えにがっつりと捉われてしまいました。

 初日のカーテンコールでちょっとした啖呵を切った根本宗子(劇作家・演出家・俳優)ですが、それをとてつもなくかっちょよく裏打ちする舞台でありました。

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