シンクロ少女『許されざる者』、物語のコアを伝える更なる手練
脚本・演出・出演 : 名嘉友美
出演 : 泉政宏、中田麦平、菊川朝子、田中のり子
冒頭のシーンこそ、どこか捉えきれない薄っぺらさを感じたのですが、
物語が歩み始めると、キャラクターたちに紡がれる絶妙にバイアスのかかった実存感にたちまちにとりこまれてしまう。
隣り合ったマンションの2組の夫婦、
どちらの夫婦もありふれた感じでありながらちょっと普通とはことなっていて、どこかが奇異でなにかが満ちていなくて。、
次第に息のつまるロールたちの情景に鈍い感触を感じたりも。
そして、その先に作り手が仕掛ける、
登場人物たちの互いの内なる想いを抑える箍の外し方目を瞠る。
役者たちが、物語の歩みと共に丁寧にさじ加減を変えながら、したたかに隠し、時に大胆に晒し、やがて当たり前の如く溢れさせるものが、表層の男女の関係性に柔らかく隙間を作り、一歩ずつ互いからの縛めをほどき、建前と本音の衝立をはずしていくのです。
やがて訪れる二組の夫婦の仮初の一体感には、たおやかさが描き出す同床異夢の慰安があって。
でも、御心のあるがごとくに(Let it be)のままに留まることができず
そのさらに解けていくものに息を呑む。
女性の、そのDNAに紡ぎこまれているがごとくの欲望や、男性の理性の内に収めきれないような嫉妬心。
同床異夢から踏み出したその先には、束ねられバラける男女の顛末が置かれて。
それを受け入れる男と、受け入れえなかった男。
べたな言い方をすれば男の度量が問われる踏絵の先で、シーンは冒頭に繋がれる。
最初は、どうにも薄っぺらいと感じた同じシーンに編みあがる、観る側を圧倒するような奥行きに取り込まれてしまう。
終わって、逃げようのない禍々しさと、行き場のなさと、それらをどうすることもできないことへの達観が、一つの感触にまとまって降りてきたことでした。
観終わって、作品からやってくるものにどっぷり浸されつつ、作り手の物語る力がさらに研がれていることに目を瞠る。なんだろ、語り口は、塗りこめるようではなく、大仰にもならず、むしろどこか醒めて、淡々としているような部分もあって、驚くほどに軽い。
でも、そのコンテンツの深さに観る側をしばりつけない軽質さが、舞台の企みとなり、役者が持つロールの解像度をさらに際立たせ、男女のありようの剥ぎだしをしっかりと受け取らせる口当たりを生んでいるようにも思えて。
これまでも、人が生きることや男女のありようの生々しさを独特の質感で描き出してきた作り手が、その表し方や語り口をさらに研ぎ、描く物のコアを見る側に渡すための作劇の手練を身につけたように感じたことでした。
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