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東京ペンギン『DOKURITSU KOKKA FES.2014』、多彩な表現の先への期待感

2014年6月8日午後に東京ペンギン『DOKURITSU KOKKA FES.2014』を観ました。

会場は池袋スタジオ空洞。

1時間ほどの作品が2本と30分ほどの作品が3本。でも、作品ごとの味わいが全く違って、疲れることも飽きることもありませんでした。

観終わって、劇団がいろんな態で紡ぐ様々な表現が、それぞれにしっかりと研がれていることに驚く。

作・演出にしても役者にしても、何かを演じつっ繰り上げるための力を磨いているという段階はすでに卒業して、磨いた力でなにを表現していくのかが問われるところまでの力量がそなわった感じがして。

荒行に近い公演だったと思うのですが、そこを踏み越えて、観る側にたくさんの期待を抱かせる力がそれぞれの作品にありました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

上演された作品の感想は以下の通り。

作・演出 : 裕本恭


THE EMPERROR「東京エンペラー」

出演 : 丸塚香奈 寺尾みなみ 工藤敬輔 中井萌 野澤太郎 吉持友佳梨

ツイッターを舞台で表現すること自体は目新しいことではないと思うのですが、ボールが作る質感や貴き方を引っ張り出しての物語の展開には、これまでに感じたことのない洗練がありました。
事象を観る側に想起させ、それを支えるように役者の身体が世界を編んでいく。フォロー/フォロワーの感覚やカリスマにフォロワーが集まる感覚、さらには物語の展開なども、創意豊かに表現されていました。

また、物語も単純にツイッターの世界を語ることからさらに踏み出しがあり、役者もよく切れていたように思います。

・ケチャップホイップクリーム「Love Liner Disco」

出演 : 寺尾みなみ 工藤敬輔 吉持友佳梨

観客が一緒に解いていく鉄道パズルに破たんがあるかどうかは正直なところわからなかったのですが、それでも物語を追うことが楽しいと思わせるリズムが舞台にあって。
よしんば、お芝居に若干不安定な部分があったとしても、トーンが崩れていないので、いったん取り込まれたその展開の歩みから外れることがない。メリハリを作りつつそれを重さにせず、物語を歩ませる役者たちの力を感じる。

映像やプラレールの使い方なども、うまく物語と寄り添っていて、ポップなテイストや男女の想いのどこか表層的な部分と謎解きへの興味への重さのさじ加減も良く出来ていたと思います。

・鬼怒裏龍 「家庭教師の女がやってきた」

丸塚香奈 中井萌 工藤敬輔 野澤太郎


戯曲として道徳が入試の中心科目になるという設定も面白いし、東京へのあこがれやどこか歪んだ性的な欲望も旨く織りこまれていたように思う。

そして、なによりもその雰囲気を立ち上げ、アイデア倒れにすることなく更なる展開へと歩ませる役者たちの力に目を瞠る。しかも、キャラクターたちの雰囲気や表層の展開から訪れるものが、役者たちの体を張ったお芝居と共に戯曲に埋め込まれたものをさらに晒しあからさまにしていくような感覚があって。

この作品だけ囲み舞台での上演でしたが、その意図もしっかりと伝わってくる。冒頭に漂うコミカルさから踵を返した、抜身の表現の切っ先にしっかりと捉えられてしまいました。

・barber911 「バーバー910」

出演 : 工藤敬輔 裕本恭

開演前の休憩時間には「公式トイレタイム」とか「緩め」などと謙遜しておられましたが、どうしてどうして、仕掛けはきっちり作りこまれていて、緩い感じはまったくありませんでした。

床屋に客がやってきて、なにかがあって、帰っていくという幹になにをひっかけるかの面白さだとおもうのですが、それがたとえば「ゴドー待ち」を垣間見せたり、コーラの一気飲みの披露の場になったり、客に合わせて片手で髪を切る床屋のウィットと心優しさだったり・・・。

そうして、一つずつのアイデアを受け取っているうちに、次第に二人の役者たちの語り口が醸す空気やリズムにならされていくのが、なにか心地よくなってくる。あからさまに何かが語られるわけではないのですが、すっと見えてくるものがあって・・・。
ちょっと無声映画のようなテイストも舞台にはあって(セリフはしっかりあるけれど)面白かったです。


・東京ペンギン「パスタを科学する」

出演 : 丸塚香奈 寺尾みなみ 工藤敬輔 中井萌 野澤太郎 吉持友佳梨 裕本恭

今回の「フェス」のメインディッシュでもあり、多分、今回作り手が一番やりたい作品だったのではと思う。

他の4編が、スタイルというか「xx風」というテイストを持った作品であったのに対して、この作品は作り手が自らの一番馴染む語り口で紡ぎあげていて。
牛丼がパスタであると称される不条理から、グローバルなネットワークを介して供される食べ物のありようがしっかりと明確な視座を持って浮かんでくることに驚愕。

もう少しあからさまな寓意や描かれるもの間のかかりがあったほうが、現れる巨大なUFOの姿を観る側がしっかり受け取ることができたかなぁという感じはしましたが、そうであっても後半作り手の意図に思い当たった瞬間、積みあがったものが姿を現わし、冒頭の、店員と客のかみ合わない会話もすっとほどける。
シーン毎に込められているものに、ほんのすこしずつですが饒舌になりすぎたり足りないものがあり、更に洗練しうる部分を感じつつ、でも作品の切り口にはしっかりと捉われました。

270分の長丁場でしたが、一つずつの舞台の色が全く異なっていたので、観ている分にはまったく飽きないし、それほど疲れを感じることもありませんでした。
それぞれにきちんと観る側を手放さない作劇の力量を感じる。
役者さんにも地力がついてきたように思うし、きっとここまでいろいろな舞台を作りうるということは、作り手にも、やりたいことを思うとおりに編むまでの力が生まれてきたのだと思う。

次にこの劇団が、どんなテイストで何を描くのか、とてもたのしみになりました。

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