tamagoPLIN『おはなし』さりげなくとんでもなく高いクオリティで編みあがる舞台
2014年5月1日ソワレにてtamagoPLIN『おはなし』を観ました。
会場は下北沢B1。
若手演出家コンクール2013を観て、スズキ拓朗氏の本公演がどのようなものかに興味が湧いて観劇。舞台を構成する様々な表現のクオリティに目を見開きました。
(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください。)
脚本 : tamagoPLIN
演出・振付・出演 : スズキ拓朗
出演 :
柴田千絵里、中井沙織、川越美樹、一平杏子、本山三火、平井千尋、鳥越勇作(椿組)、長嶺安奈(椿組)、ジョデイ、加藤このみ、池田仁徳、清水ゆり、石井友樹、スズキ拓朗 |
会場は2面の客席。斜めに置かれた棺桶だけのシンプルな舞台。そこが花いっぱいの世界へとひろがるなんて予想もしなかった。
その花たちの登場のシーンに目を瞠る。一つずつの花が舞台にランダムに舞台に現れ、やがてそれらが静かに舞台を巡り、返事をし、お相撲の懸賞の如く名前を提示し、さまざまに開き自らを主張していくという舞台の歩みが圧巻。リズムに抗うことなく、リズムを凌駕して舞台に密度が生まれ、広がり、観る側を取り込んでいく。 それは極めて作りこまれた緻密さに裏打ちされ、震えが来るほどに広がりの勢いをもった圧倒的な表現だった。
そこから花たちとのさまざまなベクトルでの関係性とともに主人公の想いが切り出されていきます。
役者たちが時に全体の構成を支えつつ献身的に、あるいは個人の力をのびやかにふるって作り上げる空間のメリハリにどんどん引き込まれる。
舞台全体のミザンスの作り方やフォーメーションが途切れることなく秀逸なダンスの品質で研がれ、織り込まれる言葉遊びなどにも刹那の戯れにとどまらず観る側の想定を軽々と乗り越えるようなつながりのしたたかさがあり、さらには意味の輻輳の先に物語のコアへと導く寓意までが生まれていて。
身体にも支えられた伝言ゲームのような言葉の伝達なども、描かれるべきニュアンスを良く引きだして上手いなぁと思う。
スズキ拓朗自身のダンスの群を抜いたしなやかさに目を奪われ、それぞれの力を感じさせつつ一点豪華主義に陥ることなく舞台に一体感を作る役者たちの歌唱の力にも強く心を惹かれる。衣装デザインもウィットを持ちつつ実に洗練されており、役者たちのメークにも描かれるべきものをしっかりと表す力があって、棺桶にファッショナブルな模様を、ちょっとしたプロジェクトマッピング的な手法で描くのもウィットがあって効果的。
そしてなにより、それら様々な表現の秀逸に埋もれることなく、世界が母の死を受容していく主人公の心風景として観る側に伝わってくることに舌を巻く
初日ということもあってか、ラスト前のシーンに集団として刻む時間にはほんの少しさらなる精度を作りこみうる余白を感じたりもしましたが、よしんばそうであっても、全体を通してその表現のしなやかさと創意の踏み出しにずっと捉われっぱなし。
主人公の、母親の葬儀であいさつする態でのさりげない最後の台詞にも、それまでの舞台上の広がりをすっと内に収めるようなふくらみがあって。
舞台に紡がれた主人公がその想いに至るまでの道程もしっかり心に残りつつ、それらを支える一つずつの表現のクオリティからやってくる、作り手がこれまでにあまり体験したことのなかったエンジンで紡ぎ出された作品の質・量それぞれへの充足感と高揚が終演後も止まりませんでした。しいて言えば子供鉅人などの音楽劇が一番近い印象なのですが、それは、どちらの作品にも一つのやり方に縛られないふくよかさがあるからこそたまたま感じることのようにも思えて。ジャンルを言い表せないような(ジャンル分けをすること自体あまり意味のないことかとも思うのですが)、これまでにあまり体験したことのない質感と様々な表現の切っ先を持った舞台にがっつり満たされてしまいました。
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