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ハイブリットハイジ座『露出と噴出とハイブリットハイジ座』軽質でありつつ質量を持ったシーンたち

2014年2月13日ソワレにて、ハイブリットハイジ座『露出と噴出とハイブリットハイジ座』を観てきました。

会場はシアター風姿花伝。

物語自体に著しく感動したりなどということはありませんでしたが、
それとは別の、シーンごとにぎゅっと詰まった感触に捉えられる。

なにか、観る側がすっとハマッてしまうような表現の切れに上演時間があっという間でした。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください。)

脚本・演出・出演 : 天野峻

出演 : 広井龍太郎、城築創、南美櫻(以上ハイブリットハイジ座)、佐原裕貴、大貫隆行、沖野樹里(劇団森)

物語はとてもシンプルだし、薄っぺらくもあるのですが、シーンがいろんな引き出し空の表現とともに満たされ、
枠からあふれ出すような感覚がありました。

役者達の紡ぎだすものに観る側をしっかり捉える引力があって。キャラクターをしっかりと定めぶれなく貫きつつ、
いくつもの表現の引き出しを引いてその個性を膨らませていく。
身体の使い方も表情も多彩、時にコンテンポラリーダンスのように、あるいはギャグマンガのように、要所では筋力で身体を制御し、全体としてのテンポを操り、かぶき、べたなあるいはコミカルなシーンですら、豊かな創意で満たし、際立たせていきます
その積み重ねが、舞台を貫く不思議な厚みとなり、奥行きとなり、グルーブ感となり、観る側を閉じ込めていく。

物語の語り口もうまいのですよ。
映像なども使い、すこし強めにキャラクターを描いて全体をもたつかせない。また、シーンの研ぎ方にもひとつのメソッドに染まらないセンスと自由さがあり、よしんば、シンプルなプロットであったとしても、あるいは描かれることが下世話でもベタでも、少々重くても表層的でも、場の質感を滅失させることなく観る側をひきつけてしまう。
サクサクとした展開でありつつ、電車の発車シーンなどベタに天丼をするところでは、粘り、場の空気を幾重にも変え、揺り戻し、観る側が飽きる寸前に同じ態ですっとシーンを進めたり。そのさじ加減に舌をまく。
終盤の罰ゲームシーンでは、シーンの中に時間の切迫感を与えつつ、とんでもなく尾籠なシーンをしたたかに差し込んでったりも。

シーンのひとつずつがすっと立ち、終演後にはもたつきのない疾走感とボリューム感がひとつになって残る。しかもハチャメチャな展開があっても登場人物達の歩みに破綻がないことにも思い当って・・・。、常ならぬとても心地よい充足感が残りました。

役者たちにも、パワーに裏打ちされた切れがあり、ベタな言い方だけれどよく切れているなぁと感心。しかもただ切れているだけではなく、シーンをただ霧散させない、粘りや色のふくよかさもしっかりと作りこまれている。映像などの使い方も巧みで、舞台全体としての軽質さはあるのですが、それがチープにならずボリューム感とうまく同居しているのです。

この作り手や役者達が紡ぐ世界に様々な可能性を感じつつ、彼らの描く異なる世界を是非に観たくなりました

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