木ノ下歌舞伎『東海道四谷怪談』長丁場に観る側を引込みきる舞台の実力
比較的後方の席だったので、双眼鏡を持参し観劇。
歌舞伎言葉と、江戸前の台詞と、今様の言葉がそれぞれに醸し出すリズムやニュアンスが実にふくよか。さらには双眼鏡越しに覗く役者の所作や表情が、その口調だから訪れる思いをしっかり受け止めて、場を見事に作り上げていく。
会場に向かうまで抱いていた6時間の覚悟などまったくいらぬこと。
時を忘れ、舞台に取り込まれ、がっつりと楽しませていただきました。
(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)
脚本 : 鶴屋南北
演出 : 杉原邦生
出演 : 亀島一徳、黒岩三佳、飯塚克之、細野今日子、田中佑弥、高橋義和、舘光三、田中美希恵、森田真和、日高啓介、後藤剛範、四宮章吾、乗田夏子、高山のえみ、峯岸のり子、岩谷優志、木山廉彬、竹居正武、森一生、蘭妖子
客電が落ちる前に、舞台上方に現れた役者の姿にぞくっときて、そこからもう見せ場のてんこ盛り、三幕それぞれに異なる味わいや見応えがあり、歌舞伎の台詞回しや所作だからこそ訪れ来たる登場人物の想いに深く惹きこまれる。
筋立てに役者の芝居が映え、役者に物語の奥行きが生まれる。それは見事なものでした。
その一幕ずつが、べたな言い方だけれど本当に面白い。
物語の筋立てを観る側がしかと受け取れるように、
描かれる場の設定や流れが作られていて、
一方でひとつずつの刹那に様々な表現の手練や色が込められていて
観る側を飽きさせない。
場の重なりに物語を歩ませる演出の上手さがあり
紡がれた因果にも深く捉えられる。
古典の踏襲はもちろん今風に描かれた部分にも冴えがあり
戯曲に仕組まれたものが語り口のメリハリで
導かれ観る側の腑に落ちる。
また、歌舞伎言葉の不自由さの箍が
寧ろ、言葉に留まらない想いの色を
演じ手から溢れさせていくことにも目を瞠りました。
黒岩三佳演じるお岩、細野今日子演じるお袖それぞれに、
内なる想いのほどけ方が、
互いに際立ち因果も感じさせ、
双眼鏡を全く離せなくなるほどに本当によかった。
武家の女の矜持がそのまま言葉にのって、
その言葉遣いや抑揚だからこそ、研がれ、深く、真直ぐに訪れる
心の在り様があって。
双眼鏡大活躍で、言葉と視野いっぱいの刹那の表情の交わりや乖離に
現代口語演劇とは異なる肌触りでロールの心の襞があふれ出し
思わず息を呑む。
亀島一徳の伊右衛門の「なうさ」がこのフォーマットに乗ることで
やってくるロールの実存感にも目を瞠りました。
二幕・三幕で伊右衛門の母を務めた峰岸のり子が
亀島の伊右衛門の別の一面を引き出していくのもうまいなぁと思う。
一方で町衆たちの気風は、今様の言葉にうまくのせられて、
舞台の空気を緩慢にせず、
物語の勢いを減じさせない力となって、
その重なりが観る側に、その時代の定めのようなものを
うまく浮かび上がらせてもいて。
一幕の乗田夏子や三幕の田中美希恵のふくよかな演技の強さに惹かれる。
飯塚克之演じる直助権兵衛の腹切りや
田中佑弥演じる与茂七と伊衛門の、
歌舞伎の所作での立ち回りに至ると
ここ一番の決めには、
仕込みでもいいから、
「・・・屋!」と大向こうからの声が欲しいほしくなったりも。
もう、6時間があっという間。観終わって場ごとにお岩、お袖、伊右衛門、与茂七、直助と、役者それぞれの良さを褒める気持ちを繰る楽しさがあって。
さらには脇を演じた役者の上手さもしかと蘇る。
古典落語の芝居噺の登場人物達の心持が、ちっとは理解できた気がした。
それは、歌舞伎座で修行を積んだ役者達の演じる大歌舞伎の舞台の深さとは
また異なるものなのかもしれませんが、木ノ下歌舞伎に組み上げられた、
今様の尖り方と古典の力を重ねあわせの物語に幾重にも捉えられたことでした
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