Produce lab 89 官能教育『糸井幸之介×『安寿と厨子王』異なるテイストの重なり
2013年11月1日 22時の回でProduce lab 89 官能教育『安寿と厨子王』を観ました。会場は六本木 音楽実験室新世界。
様々なトーンとテイストの表現から訪れる、作り手ならではの世界に惹き込まれました。
(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)
演出・出演 : 糸井幸之介(FUKAIPRODUCE羽衣)、
出演 : 井上みなみ(青年団)
3連休前の週末、ちょっと夜遊び気分で六本木へ。帰宅の人波とすれ違いながら、駅のエスカレーターを上がり、西麻布への坂道を下って会場へと向かいます。会場の狭い階段をゆっくりと降りて、+ワンドリンクの料金設定でサングリアを呑みながら開演を待つ。(ここのサングリアは私の大のお気に入りです)
開演前から晒されている舞台上には、ギターが1台おかれているだけ。
そして、時間になって、ゆるい感じで現われた出演者の前説とも挨拶ともつかない会話があって、その雰囲気に油断していると、突然に訪れる精度を持った表現にすっと心をさらわれてしまう。
アルゼンチンタンゴにのっての冒頭のダンスに編まれる色香は、どこかフェイクで本場物のような脚の絡みなどもないにもかかわらず、素舞台に印象を作り空気の厚みを編み上げていく。
紡がれる物語も、ルーズというかざっくりした質感を保ちながら、一方で、観る側に訪れる役者としての二人の表現を映えさせていきます。綴られる物語も、実直に繫がれていくのではなく要所が切り取られながら流れていく感じ。でも、そのことで、観る側は知らず知らずのうちに、場ごとの表現をより強いインパクトをもって受け取ることができる。
後半の安寿の被虐的なエロスにしても、一見脈絡も意図もさだかでないものが、むしろ偽悪的な企み感をもった思い付きの態で表現されていくのですが、そのことと、実際に舞台上に現れるものの深さや強さや精緻さの落差に観る側は捉えられてしまう。
歌にしても、差し込まれるダンスにしても、かなり物語のテンションやコンテンツとは乖離しているのだけれど、でもそこにある世界の色や身体が紡ぎ出す女性の愛らしさやポップさやキュートさに、熾烈な山椒大夫の責めが重なることで炙り出される、なんというか禁忌の匂いをもったエロスが浮かび上がり、人間がその根底にもつ感覚がテイストとなって訪れるのです。
ダンスに関して言えば中林舞の振付に観る側の感性をすっと掘り起こすセンスがあって、踊る井上みなみが内包する並外れた表現力を身体のフォーマットにしなやかに惹きだしていて。舞台に浮かび上がった感覚を全く異なる切り口で映えさせて。
それは、FUKAI PRODUCEの作品などでも体験した、とんでもない切っ先をもった緩さと同じ構図で、表現の奥行きや精度を持っいた表現のルーズな交わりだからこそ醸し出されるような、観る側が思いもよらなかったニュアンスを導き出してくれる。
終演時には、恣意的にラフな物語の顛末と、緩くて広がりのある歌の印象と、ビビッドで身体の紡ぐものに留まらないダンスの感触が重なり合い、表現のひとつずつのピースからやってくるものとは全く異なる、人がその深淵に繫がれ息づく生々しく艶やかでグロいエロスの気配に編みあがり観る側に残って。
六本木の坂道、日が変わって帰宅を急ぐ人の流れに、今度は身を任せる。
作り手の描き出す、観る側が拒むことができないような鈍色の高揚が暫く滅失せずに留まっていたことでした。
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