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浮間ベースプロジェクト『ハアトフル』1本にも2本にも3本にも・・・

2013年11月4日マチネで浮間ベースプロジェクト『ハアトフル』を観ました。

其々のフロアーでの作品を楽しみつつ、それらが縒り合わされたとき、更なる感覚を味わうことができました。

(ここからネタばれがあります。十分ご留意ください)

場所的には、浮間舟渡駅からけっこう歩くのですが、
ホームページの地図がわかりやすくて
迷うことなくたどり着けました。
ただ、時間的には余裕をもって行った方がよいかも。

作品は1本の作品にも、2本の作品にも、3本の作品にも感じられた。
1Fでの作品が、そのまま2Fと3Fの作品に繫がっていく構造になっていて、
一つずつの作品の世界観に加えて、観終わってそれを俯瞰する感覚がありました。

・1F
入場すると1Fの客席に招きいれられます。

板張りの広い舞台、素舞台としていろんな表現ができそうな十分な広さを持ったそっけない空間。
長机と3客のパイプ椅子が置かれ、やがてチアリーダーのような衣装を着た3人の女性が現れる。

会話から、場所の設定が彼女たちが何者なのかがなかなか明かされず、一方で彼女たちの生活の断片が次第に場に晒されていきます。
駄弁でもあるのですが、その設定が知りたくて彼女たちの会話をずっと聞き続けてしまう。
気が付けば、次第にその場が彼女たちが都会に暮らす時間の断片となって観る側に積もっていて。
終盤に、彼女たちが、ショッピングセンター的なところの子供むけショーのお姉さんであることがわかって。1曲まるっと歌い踊らせることの負荷が、彼女たちの時間なる質感を与えるのもうまい。
また、2Fの物語のブリッジになるシーンの挿入もしたたかだなぁと、あとになって舌を巻きました。

・2F 河西裕介Ver.

作り手らしい物語への導入。冒頭はシンプルな男女の愛憎劇なのですが、すこし場が解けてくると、1Fで踊っていた女性の一人の日々の暮らしの別の一面がしなやかに浮かび上がってくる。

別れる男、ハウスシェアをしてる女と男、さらには1Fの世界から繫がってその家に入り込んでくる男・・・
主役の女性には、その無表情に自らの想いの移ろいを観る側に流し込む刹那があってぞくっときたのですが、彼女の力はそこに留まらず役者たちが描き出すロールたちの個性を、自らの色に映えさせ浮かび上がらせ、その力に更に驚く。
他の役者達にもロールを一重の印象に留めない、幾層ものキャラクターの描き出しがあって。女性と別れるハンバーグ好きの男から垣間見えるさりげなく大人になりきれない部分も、ハウスシェアをしている女性の、一見他と距離を置く感じの奥にある温度や強さ、もう一人の同居人のつまらなさの奥には彼の視座での部屋のありようがしっかりと垣間見えるし、そこに入り込んでくる男の
チャラさの先に無意識に抱く悪意にも、しなやかな実存感が裏打ちされていて。

役者も本当によかった。笠島智は舞台初出演とのことですが、無表情で言葉をかたれるというか、同じ表情のなかに異なるニュアンスを描き出す力があって、変化のないはずの表情からやってくるものにひたすら目を奪われる。そこには、自らの想いの変化に加えて交わる他の役者の描く心情を照らし出すような力もあって・・。望月綾乃は、女性が持つ強さが塗りこめられることなく息遣いを持ちとてもナチュラル。描き出すものの芯に歪がなく、ラストシーンも彼女が描くと少しもあざとくならない・・。野田慈伸の鈍さというか無神経さにも実存感があって。ロールがコアにもつ幼児性のようなものが台詞に織り込まれたものから感覚へと踏み出していた。小西耕一の描き出す生真面目さには表層とは異なる頑迷さのうようなものが奥行きをもって作りこまれていて、その雰囲気に自らにとどまらず他のロールの禍々しさも惹きだしてみせる。上田祐揮のちゃらいというか底浅い感じにブレがないのもよい。なんというか、ロールがぼんやりと感じる自らと滲み出す色の差異がシニカルに、どこか可笑しさすら醸し出して観る側を取り込んでいく。

そうして、全くあざとさなく舞台上の手駒の在り様が晒されているから、結末が滑稽さを持ちつつ、ちゃんと物語を持った風景として収まる。その先には、にこのフロアに留まらない作品全体として俯瞰される東京の日々の風景へと浮かび上がって。
河西作劇ならではの人物描写の冴えに心奪われつつ、その顛末にはこれまでとはまた一味違った踏み出しというか新たなセンスのふくよかさを感じたことでした。

・3F 吉田光希Ver.

1Fで踊ったの残りの二人の姿が上手と下手の二つの空間を互い使って描かれていきます。

一つずつの刹那は切っ先をもって良く作りこまれていました。下手の自室の女性がドラックにおぼれていく姿も、上手の女性が風俗の現場で客の理不尽な求めに応じていくなかで次第に溢れていくものにも、観る側を惹きつける力がある。

ただ、それらのパーツが最後に撚りあい風景に至るという作劇の意図は感じることができるのですが、初日ということもあってか、そのふくらみが個々の印象を超えて交わる感じがしない。
なんだろ、交互に流れる時間の片方が動き出すとき、もう片方の時間が場にミザンスとして留まってはいても密度が滅失してしまっていて、同じ時間の他のシーンを支え映えさせるように機能していかないのです。
証明もシーンを切り分けてはいるのですが、昼間の公演で外からの光にその効果が大きく減じられてしまってもいて・・・。夜に観ればまた異なる世界が広がることは想像できましたが、少なくとも私が観た回では実感として二人の女性を重ね合わせて俯瞰に至らしめる別の視座が明確に立ち上ってこない。

役者達にはそれぞれの場で編む時間には観る側を引き込む力があって。 阿久沢麗加が醸し出すロールの不安定な部分にも、木村紗貴が内に積もらせていく想いの質感にも、照井健仁、野川雄大、平木勇輔らの男性陣のある種の中庸さや見栄を表見にした男性としての想いのありようにも見入りましたが、そうして女性たちが切り出していくものが、彼女たちが陥る日常として昇華するためのプロットや空気の組み上げになにかステップが足りないような感じがして。ふたりの想いを撚り合わせるダンスもどこか平板で唐突なものに思えてしまいました。

*** ***

観終わって、帰ろうとすると外は激しい雨でした。で、2Fのスペースでドリンクを注文して少し雨宿りをさせていただく。この場所、コミュニケーションスペースとしてもしっかり機能することを実感。

それにしてもこの施設、おもしろいよなぁ。一つずつのスペースに個性があり、作り手がいろんな印象を編むための可能性を感じる。
また、今回のように施設全体を使っての表現だからこそ伝わってくるものあり、それぞれのフロアでの異なる作り手による異なるの公演のハシゴなんていうのも魅力的。
単に舞台としてということだけでなく、それぞれのフロアーの個性を生かしたり、建物や施設の機能を生かしたイベントもできそうだし、作り手の創意がいろいろと試される場所にもなりそう。
さらには浮間舟渡駅前の公園は桜の名所だったりもするので、観劇とお花見を兼ねるなんていうのも観る側には魅力的かも。

個人的に自宅からも近いこともあり、今後この施設をつかってのさまざまな試みがとても楽しみになりました。

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