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劇団チャリT企画『ニホンヲトリモロス』観る側の鈍感の鏡

2013年10月27日15時の回で、劇団チャリT企画『ニホンヲトリモロス』を観ました。

会場は王子小劇場。

舞台から直接やって来る印象に加えて、翻って自らを映すような舞台の感覚があってはまりました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

作・演出 : 楢原拓

出演 : 松本大卒、内山奈々、岡田一博、鳥越勇作(椿組)、熊野善啓、小杉美香、下中裕子、室田渓人、丸山夏未

2020年、オリンピックがもうまじかに迫る東京のホテルのロビーが舞台。
そこに、現状の日本のから想起しうる、今とさして変わらない近未来の風景が織り込まれていきます。
そして、その裏には、かなりあからさまに、あざとく、日本の現状の比喩が織り込まれていて、
ホテルの部屋番号と福島原発の炉のナンバーが重なり、雨漏りは急場しのぎの汚染水対策が続いていることを思わせる。さらには、国情というか、阿部首相の3本の矢の奪われてしまうことや、中国人客ばかりのホテルの予約や、旧態依然としたつっぱり(懐かしい)たちの登場や、魔女の宅急便で届かない、コスモクリーナーから浮かび上がるこの国のありようがあって。ただ、舞台の置かれたそれらの表現自体が、どうにもベタで、芯がなく、主張もなく、どこか安っぽいコントのごとくなげやりに思えてしまう。

そしてその展開もじんわりとゆるい・・・。

でも、終盤で懐かしい『8時だよ!全員集合』の場面転換(前半のコントのラスト部分)の音楽が流れ、舞台の混乱を笑いながら、家で毎週見ていた番組のことを思い出すと、すっと、その世界の見え方が変わるのです。
次第に破壊的になっていくさまざまなことに収集がつかなくなっていくなかで、
「だめだ、こりゃ」とその場をまるっと収めてしまうに舞台には薄っぺらさを感じてしまうのですが、
でも、結構洒落にならない現実を、ただ、物足りなさとともに眺める自らに、
ドリフにマンネリ感を感じつつ、どこか惰性で、でも結構楽しみにテレビを見ていた自分の記憶がかさなると、描かれた先にあるシリアスな日本の現実を受け取ることとは明らかに異なる感覚に浸され、慣らされた自らへの視座が生まれ、この国の様々なありようを「お茶の間」感覚で見ている己が姿が浮かび上がり愕然とする。

様々な出来事に慣れ、ニュースや社会的な事象を、際立ってシリアスなこととして眺めることも心を深く揺さぶられることもなしに、ブラウン管(有機ELなどではなく、どこかぼやけている)の中の出来事のように感じ始めている自らや多くの人々のありように思い当たって。

作意がいまひとつ舞台に明確でないので、私が深読みしすぎているのかなぁとも思うのですが、ドリフ的なエンディングに取り込まれたこの舞台の感覚の先に、それを日常のルーティンとして、深く妙味を抱くことなく受け取っているその感覚のリアルさに、ゆっくりと深く捉われたことでした。

役者達の、次第に手がつけられなくなっていく世界を着実に描き出していく語り口には、観る側を飽きさせない繰り返しや、踏み出しがあって。どたばたのなかにも、創立15周年がダテではない劇団としての舞台の安定が強かに作られていたように思う。、また、水音などの舞台の満たし方もなかなかによくコントロールされていて、観る側をしたたに取り込んでいて。
実は結構難しい力加減の舞台なのだろうなとおもいつつ、それを感じさせないつくり手の手練に、劇団の歴史を思ったことでした。

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