芸劇eyes番外編『God save the Queen』5劇団それぞれの圧倒的な個性
2013年9月12日ソワレにて、芸劇eyes番外編・第2弾『God save the Queen』を観ました。
会場は東京芸術劇場シアターイースト。
女性が主宰を務める気鋭の5劇団が20分程度の作品を上演するという催し。各劇団のショーケース的な機能も持ち合わせているのですが、実際に観劇してみるとそのイメージはほとんどなく、秀逸な作り手による上質な5本の舞台にそれぞれ別腹で満たされた印象が残りました。
(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)
5劇団とも作品を観たことがあって、この企画のフライヤーを初めて見たときから、けっこうわくわくしていました。
で、実際の作品をみると、それぞれにこれまで観たものにはないさらなる作り手の引き出しを感じることができて、従前の期待をも大きく上回った充実の作品群になっていました。
・うさぎストライプ『メトロ』
作・演出 : 大池容子
出演 : 亀山浩史(うさぎストライプ) 李そじん 緑川史絵(青年団) 水野拓(青年団)
舞台に並んだ椅子が、駅のベンチや地下鉄の車内を想像させ、そこに役者たちが現れると更なる密度がうまれて。一つのシーンから時間が解けていきます。
歩くことや走ること、時に風景が紡がれ、あるいは記憶の断片が切り出され、時間が行き交う。
音楽と身体が刻む時間、ダンスのシークエンス、そこには、今があって、今抱く記憶があって、失われたものがあって。
椅子を並び替えて道を作っていくその表現がとても秀逸。想いの時間をとどめ、前に進め、再びとどめる。
記憶は、時にダンスのごとく軽やかに、時に疾走感を持って、めぐりあるいは突き当たるような慟哭を伴って、いくつもの温度と質感で、残されたものに、そして観客に蘇る。
実をいうと、登場人物の死に関して、ワンラインだけ、地下鉄史上おそらく最大の事件を示唆する表現が差し挟まれた(濡れたビニール状のもの云々)ように思えたのですが、私の錯覚かなぁ。そのあたりだけがちょっとあいまいにしか受け取れず悔しかったりも。
でも、舞台全体を使って描かれた想いの風景には、観る側を柔らかい滅失感とともに豊かに取り込む力がありました。
・タカハ劇団『クイズ君、最後の2日間』
作・演出 : 高羽彩
出演 : 橋本淳 伊藤直人
当日パンフレットとタイトルから、描かれ るものの外枠は示されていたのだが、それでも最初は舞台に散乱したキューブ状のイメージと、差し込まれる漫才や政治用語のラリーにすこしとまどってしまう。
しかし、程なく、ランダムに揺れ動くようなイメージが次第にフォーカスを絞られ、一人の男性の自殺までの2日間の道程とその心風景、さらにはそれをとりまくネット上を含めた風景となって観る側に広がっていきます。
事実の淡々としたクリアさとそのあからさまさ、手にとるように感じられながら決して手が届かないような距離感の捕まえられなさや乖離感、さらにはその中間に去来する様々な社会の景色や内心のありようが、集約された時間の厚みとして織り上がり、その、実態の肌触りをうしなったリアリティに捉えられてしまう。
バラバラに舞台に置かれていた箱の塊たちが、いろいろに重ねられ、組み替えられ、時に隅に押しやられてスペースを作り、やがて中央に集められて一つの意思のごとく形成されていくその姿が、画像の文字と役者たちの台詞に編まれていく心風景にすっと重なり、男の結末のありようとなって。
舞台中央に形成された意思の形と、突然に、そしてあるがごとくに訪れるラストの衝撃に息を呑む。
これまでに観た作り手の作風とは異なる語り口から組みあがり訪れる感覚に、目を瞠りました。
・鳥公園『蒸発』
作・演出 : 西尾佳織
森すみれ(鳥公園) 野津あおい(サンプル)
屋上のような場所から男の自慰や欲情やあまつさえ鶏を犯す姿を見る女性と、ゆったりとソファーに座り鶏もも肉を食べる女性。
最初は突飛にもあからさまにも思えた屋上の女性ですがその行動やソファーの女性との会話から次第に結びつき、やがて女性の求めるものの表裏へと編みあがっていきます。
視覚からの直情的な高揚を伴った一面と、ゆっくりと味わい取り込むことへの感覚が、命を注ぎ込み食する感覚と折り合いをつけていく感じが、男性にとっては未知で生々しい女性に内包されたものの普遍にも感じられて。
なんというか、その激しさとたおやかさに、自らのジェンダーでは理解しえない禍々しさと強さと隠さない真正直さがあって捉われる。
二人のありようの異なりと連鎖が、女性の自らへの感覚の主観と客観が縒り合されることで生まれる感覚を導き出して。
この作品、女性が観たらどのように感じるのでしょうか。
とても良い意味でジェンダーによって感じ方にかなりの差異が生じる作品かもしれないとも思ったことでした。
・ワワフラミンゴ『どこ立ってる』
作・演出 : 鳥山フキ
出演 : 北村恵 菅谷和美(野鳩) 多賀麻美 名児耶ゆり 原口茜
作り手の公演にはこれまでに何度も訪れているのですが、今回のように広い舞台で観るのは初めて。
毎回作品を観るたびに思うのですが、どうすれば、ここまでに一瞬去来するものを形に作りこめるのだろう・・・。
刹那の感覚が、時として質量すら失うほどに恐ろしいほど研がれ、観る側はその味わいをすっと供される。しかも、その解像度は空間が広くなってもまったく遜色ない密度を保ち、むしろ広がりがあることでの、新たな感覚での表現が生まれていて。
走る速さと歩く速さのアンバランスを滑稽に感じつつ、そこから観る側が感じるずれの感覚の既視感に思い当たる。腕だけが出ているものを広い舞台に引っ張り込もうとする時の隠れた側のためらい方などにしても、その隠れた人物の心情を内と外の両方の視座からしなやかに描き出していて。
一つのシーンの、一つの会話や一つの動作や呼吸までが、とても丁寧に良く作りこまれていて、現われるものにとてもクリアで上質な可笑しさがあって。でも織り込まれるウイットは観る側をしなやかに捉えつつ一方で観る側にやってきたときに、何かを共振させるような汎用性を兼ね備えているのです。
ほんと、この感覚、癖になるのですよ。
終わってみれば舞台の絵面の淡白さや物理的な時間の短さと、受け取ったもののボリューム感がすてきに異なって感じられたことでした。
・Q『スーシーQ』
作・演出 : 市原佐都子
出演 : 飯塚ゆかり 坂口真由美 吉岡紗良 吉田聡子
語られる世界は、冒頭からどこか奇異というか、スルメ烏賊をしゃぶり続ける女性がいる時点で奇想天外なものに思えるのですが、そこにちゃんと筋が通り、顛末が解けて、表現たちを裏打ちする骨格が組まれていく。
役者たちの身体が圧倒的に切れていて、その一人ずつの身体が表すものにメリハリを持ったしなやかなデフォルメがあって。舞台上の感触に浸されつつ、どこか歪んだものがまっすぐに貫かれていくような不思議な感触に惹き込まれてしまう。映像も、描こうとするもののコアを、時に示唆し、あるいはあからさまに映えさせて。
作品から訪れたものを説明するのがどうにも難しいというか、舞台で演じられるヒエラルギーのありようや、美術、照明、役者たちの秀逸な表現力などを言葉にできたとしても、作り手がイマジネーションや感性に寄せて観る側に渡す、命を繋ぐことと食べることの次元を超えて交わる感触は、この舞台表現でしか伝え得ないもののように感じられました。
で、文字にも表せないその感触が、表層の捉え切れなさとは関係無しに、するっと観る側に伝わってくるのです。
そのスムーズさが、力技にも、表現の洗練にも、上質なウィットにも思えて。
絡まりあった、いくつもの生々しくクリアなその感触が、終演後も解けずに残ったことでした。
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作品ごとに異なったベクトルでの切っ先が内包されており、観客の嗜好によって合う合わないというのはどうしても出てしまうのかもとは思うのですが、たまたま私的には好物ばかりが集められていたこともあり、団体それぞれの描く志や、それぞれに異なるベクトルの豊かさに様々に心を奪われてしまいました。
単に短編と括りえない、それぞれにしっかりと質量をもった5作品に、がっつりと満たされたことでした。
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コメント
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投稿: ナイキ エアフォーロー | 2013/09/25 15:01