AnK『SUMMER PARADE』洗練された中途半端が描くもの
2013年9月13日ソワレにてAnK『SUMMER PARADE』を観ました。会場は演劇フリースペース・サブテレニアン。
劇団の公演は、以前に王子小劇場で上演されたものを観ているのですが、その時の印象とはかなり違っていて。
今回は、その世界の吸引力や閉じ込められ感にしなやかに掴まれてしまいました。
(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)
脚本・演出 : 山内晶
出演 : 上野友之(劇団競泳水着)、関亜弓、富永瑞木、前原瑞樹、村上玲、矢沢洸平
3面囲みの舞台で、決して広くはない、むしろタイトな空間。
三つの寝袋が並べられると結構舞台は満ちて。
そのなかで、真ん中のひとりを現実側に置き去りにして、 少女とアンドロイドの少年が少しずつ心を解いていく。
その媒体となるホログラムの素敵ないい加減さとリアリティのバランスが凄く良くて、たとえば少女がノートに書き綴った世界も無理なく、不要な禍々しさもなく、舞台に引きだされていく。
スプーンをこめかみに当てて、現われる態のロールたちの いろんな遊び心が舞台にあって、その内容が舞台から少女の表層の枠組みを外し少しずつノートにつづられた想いのありのままの姿となり、最初は躊躇しつつ、でも次第に扉を開くことへの不器用な意思とともに女性の内心を晒して魅せるのです。
そのホログラムたちが描くエピソードが素敵に中途半端で、個々には完結せず、どこかはみ出していて、時に薄っぺらくご都合主義な部分があることで、少女の想いの不規則な揺らぎがびっくりするくらいビビッドにやってくる。
しかも、舞台の中に現実の中に眠っているロールの存在があることで、ホログラムの世界に少女の抱くものが現実の鎖をすべて外してしまうことなく、それ故にさらにその世界を裏打ちする想いも、単に染み出すのではなく、次第に現実と対比した座標を持って伝わってくる。
役者たちのお芝居もとても良く切れていて、絶妙に空間に観る側を手放さないテンションを編み上げていきます。
想いをイメージする側の演技にも、その想いを具象するホログラムの演技にも それぞれにシーンをひとくくりにせず、少女とアンドロイドが感じる自らの想いを晒した時の反応の既視感や、やがて世界がそこに収まらないことへの戸惑いや期待までも含めた想いの色までも透かし入れる力があって。
異国のお祭りのような華やかなシーンのミザンスにしても、星をめぐる顛末の宮沢賢治崩しにしても、アンドロイドの身の上の独白にしても、それらを紡ぎあげるホログラムの首にメーカーの名前が刻まれていることなど様々な印象の作り方もウィットもしたたかで旨いなぁと思う。
描かれた刹那に観る側に映る色などには、どこか淡々としていて薄っぺらい質感もあるのですが、そのトーンを崩すことなく、一つずつの物語のかけらから、少女とやがてはアンドロイドの想いの断片を紐解き重ねていく語り口だからこそ、表現しうる世界があって、そこに作り手の表現センスの際立った洗練を感じたりも。
終わってみれば、全く力むことなく舞台の事象を追い続け、気が付けばどっぷりと作り手のよく研がれた世界にはまってしまっておりました。
こう、言葉では表現しにくいけれど、ちょっとくせになるようなテイストがあって、次回の公演が楽しみになりました。
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コメント
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投稿: r4-officiel.com | 2013/10/15 18:39