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悪い芝居『春よ行くな』舞台に座標を持った身体表現

2013年9月11日ソワレにて、悪い芝居『春よ行くな』を観ました。会場は下北沢駅前劇場。

悪い芝居の作劇の引き出しはいろいろにあって、その一つずつにに新しい魅力を感じさせてくれるのですが、今回の作品はいつもにも増して強いインパクトがあって。

その世界観や舞台の語り口や役者の身体や描き出されるものに圧倒されてしまいました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

脚本・演出 : 山崎彬

出演     : 呉城久美、大川原瑞穂、池川貴清、大塚宣幸(大阪バンガー帝国)、山崎彬、植田順平、宮下絵馬、北岸淳生、森井めぐみ

入場してしばらくは、
三角形の囲み舞台かと思った。
中央には三角形の台が設えらえて。舞台上手の通路状のスペースの奥や
下手奥には2列のパイプチェア。
奥のブースのような部分にも気が付いて。
坐っていても舞台の形状が今一つ把握できず
すこし不可思議な感覚のままで、開演を待ちます。

闇の中、男女の交わりで始まった舞台、しばらくは主人公を外側から見ていたように思う。やってくるものをただ物語を紐解くように追いかけていく。
23歳の主人公の記憶、周りとの会話や関係、戻らない彼氏、仕事や生活、様々な出来事と想いの曖昧さ。躊躇、当惑、想いの逡巡。スライスのように切り取られ、観る側に訪れる時間。
でも、気が付けば、舞台と人物たちの姿とは別の色の、シーンの枠組や台詞とはことなるものに捉えられていて。

正直なところ、最初は、想いが舞台から流れ込んでくるのを感じつつ、何がその感覚を伝えているのかがわからなかった。でも、少しずつ世界が開けていく中で、役者たちの演じる場所や、距離や、なによりもその身体が語る言葉に、ダイレクトに染められていることに気がついてから、その描き出すものの一つずつにしっかりと取り込まれてしまう。

もちろん、戯曲を超えて身体が紡ぐもの自体は他の劇団の作品でも秀逸なものがたくさんあるのですが、それでもこの作品で役者たちが身体で紡ぐ想いには目を瞠った、単に刹那に現出するロールの心情に留まらない記憶のバイアスがかかっていて、その分すこし物語に寄せられ、時にベタで、あからさまで、へたうまに洗練され、その分観る側に対しての親和性を持ち、舞台美術の表すものやロール間の物理的な位置までもニュアンスに取り込む間口があって。
音にもやられました。舞台奥からオペレーションされる様々な音が、時に突き刺すように鋭く、あるいは満たし浸し込むように鈍色に、観る側を舞台に引き入れ、繋ぎ、揺さぶり、感覚を研ぎ、視野すらも広げていく。、

戯曲に紡がれ声で語られる台詞と役者たちの身体や距離が語る言葉の重なりや乖離から、ロール達の表層や内心、さらにはそのコアの内に息づく想いに至るまでの俯瞰が生まれる。個々のロールの名前が、そのニュアンスを観る側にしたたかに囁いたりも。
美術は、それ自体としては前述のとおりタイトにイメージを定めることなく抽象的なのですが、役者たちの所作がそのなかにくっきりと主人公の心の内の座標や視座を刻み組み上げるフレキシビリティを内包していて。中央の三角形の台上のスペースに主人公が抱く想いや、不安や、慰安や、様々な事象に対する感覚が、台詞に留まらず、その所作や、さらなる身体の言葉で紡がれていく。そこに入り込んでくる他のロールの存在が、踏み入ったり、片足を台に掛けたり下ろしたりで表されたり、圧迫感や求める気持ちがスペースのエッジで演じられるのも旨いなぁと思う。
一方でオフィスの風景が舞台の端に置かれたり、想いと重なりきれない男との生活が中央ではなく客席と見紛うように並べられたパイプ椅子の上で不安定さとともに描かれて。シーンの一つずつが、舞台は主人公の心の構図の中で、役者たちが紡ぐ心風景として観る側を取り込んでいくのです。
舞台に刻まれる時間、なにか歯車が一つ外れそのままに動いていくような23歳、想う歪みの色や軋みの音が伝わってくるような26歳、さらにはそれでも抱き求めるものが手を離れ心を閉ざしてしまう30歳。主人公が心に抱いた「春」と現実がはみ出し、折り合い、、収め、収まらず、委ね、委ねきれず、疲弊するように、崩れるように、緩やかに、何かが手から離れていくように乖離していく。
そのことが、単なる物語の骨組みやドラマの筋立てや、語られる表層とは繫がっても重なることなく広がる心風景とその肌触りでやってくるから、観る側もその感触を物語の枠に収めきれず自らの内の時に埋もれてさえいた記憶や気づきや感性で受け止めるしかない。

30歳の「春」を殺し、「春」と繫がれた舫を解き、闇に包まれた獄のなか閉ざされた時間を渡る。その時、舞台の在り様と主人公が語るクリアな想いと諦観とその先への想いが自らの語った台詞がすっと一つに束ねられて。扉が開き解き放たれ、差し込んだ光に歩み出す主人公を、そのすべてを受け取った観る側が手放し見送って・・・。

終演。その余韻にただ圧倒され、少し落ち着くと、舞台から訪れたものが、ゆっくりと圧倒的な質量とともに処しがたく行き場のない想いとして観る側自身を染め淡々と深く心を満たしていることに気がつく。
劇場に足を踏み入れたときには不可思議に思えた舞台の形状が、もはやあからさまな心風景の具象となっていて、劇場を出るとき暫く止めてその世界に見入る。その印象は、帰りの電車の中でも、その翌日も、ずっと消えずにとどまっておりました。

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