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青組『マリオン』舞台の美しさに目を奪われつつ

6月16日ソワレにて青組『マリオン』を観ました。
会場はこまばアゴラ劇場。

観終わって、なんと美しく重ねられ紡がれた舞台だろうと思った。

じつにしなやかに
世界が重なっていきます。
それぞれの世界にすっと取り込まれ、
入り込み、再び戻り、
気が付けば
異なる世界にひとつの俯瞰が生まれて浸潤されて・・・。

絶妙にボリューム感があって、
身体の使い方や歌にも深く捉えられて、
くっきりとしていて、
その物語たちを一緒に旅してきたような充実感に満たされて。

舞台の印象が幾重にも訪れ
そこに作り手が紡ぎ込んだものに
ふっと想いが巡って・・・。、
一つの暗喩を見つけた気がすると、そこから様々な表現の新たな意図に思い当たり物語のさらなる景色が解けていく。

作り手が導く世界に潮の満ち干のごとく取り込まれてしまいました。

(ここからネタばれがあります。十分ご留意ください)

脚本・演出 : 吉田小夏

冒頭、闇の中に男女の会話が生まれます。
男と女とリアカー。
敗戦後、街に現われたというマッチ売りの少女
(客にマッチを売ってその明かりで秘所を晒す商売)と
客のような二人の姿・・・。

やがて、女は話をしたいと言い、男は聴くという。
そして彼女の記憶、旅芸人の世界が現われて・・・。
『天然の美(うつくしき天然)』のメロディーとともに
彼女の記憶が紐解かれていく。
リアカーと太鼓とアコーディオン・・・、
どこかチープで、でもしっかりと作りこまれた音楽に、
刹那の明るさと世界の滅びの気配にただよう哀愁が織り上がり、
そのなかで語られるセイシェルぞうがめの物語が
観客をも、その顛末に閉じ込めていく。

ぞうがめの物語を織り上げる、その表現の細やかさや
身体での空間の造形の確かさに目を瞠る。
そこには、きっと男性が概念でしか理解し得ない
女性が抱く命を育み、繋ぐ想い、
過ぎ行く日々と恋する心、
さらには男性の冒険心と、
記憶の中に生きる時間があって。

物語を語る一座は、
父の望郷の思いとともに旅を続け、
少女はひとりの女になり、
さらには、一座はこの国の廃墟の中に滅び記憶となる。
そうして、彼女は残されて、物語は冒頭に返り、
光景は自らを抱え込んだ女性と、その女性をショウワの遊びでのぞく
男のすがたへと立ち戻って・・・。

そして、表層の部分の、
互いの距離感の中で、それぞれの世界を抱えて
男は女の名前を尋ねるのです。

観終わって、しばらくは、三層(とちょっと)の物語にただ浸されていて。
やがて、つながり行きかう物語の刻まれたシーンたちが蘇る。

まずは、互いが再び戻る孤独にとまどうように、
女に名前の聞いた男の気持ちが広がり、
聞かれた女の今が改めて解け、
彼女自身の歩んだ道と、
寓話に織り込まれたゾウガメの一生に重ねられた女性の長い孤独と、
そこに交わっていく男性の人生のありようの俯瞰が生まれて。

役者達の演技も実に秀逸で、生地を染めて物語を描くのではなく、
一本ずつの糸を紡ぎ、染め、織り上げていく感じがあって。
大西玲子の担う時間には常ならぬ密度と肌理があり、
それは、それぞれの世界でのときめきや達観やその達観からさらに溢れだすものを描き出していく。
福寿奈央はその身体での表現で紡ぐ時間に質量を与え訪れる想いには、単に研がれた切先だけではなく、舞台全体を凛と導くような確かさと包容力があり、観る側もすっとこの人の紡ぎ出すものに委ねてしまう。
松本ゆい は当初演出助手からの代役での参加とのことでしたが、要所で舞台のリズムをつくり、物語の枠組みを支え、耽美な時間を損なうことなく物語を歩ませるロールをしなやかにこなして。
シーンを空気の重さではなく切れで支えるような力にも惹かれる。
藤川修二の醸す味わいには、舞台全体を律し染める広がりがあって。描かれるものにしっかりとビターさを織り込んで。jロールの依怙地な部分とルーズな部分をひとつのキャラクターに織り上げてしまう。
荒井志郎には女性の視座でみた男性の存在感や孤独を細微に描き込む力があって。作りこまれたある種の軽質さが女性たちの物語の向こう側に置かれた男性をしたたかに演じあげていく。

 そして、役者たちの演技の重なり、その身体で紡がれる時間も、リズムも、台詞のニュアンスも、言葉としておかれるに留まらず一つずつの場の肌触りへと昇華して。それは、やがて、セイシェルゾウガメの物語に描かれた孤独と、その座標に生きることと女性が普遍的に持つタイムテーブルと、それを伝えたいとおもう気持ちへと、翻り、解け、重なり、ひとつの作品のボリューム感となって鮮やかに伝わってくるのです。

観終わって、とても美しい舞台だと思い、
やがてとても生々しい舞台だと思った。
その異なる乖離した感覚が不思議なことにひとつに束ねられて、終演後、舞台の記憶からさらに溢れだした世界に
深く浸されてしまったことでした。

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