オーストラ・マコンドー『岸田國士原作コレクション(A)』さらに、岸田國士がおもしろすぎる
2013年6月4日ソワレにて、オーストラ・マコンドー『岸田國士原作コレクション(A)』を観ました。
会場は地下鉄森下駅とJR両国駅のどちらからも歩いて10分の blancA。
このシリーズ(C)→(B)と観て、その面白さにハードルを上げての観劇でしたが、
その期待が裏切られることなく、岸田戯曲のおもしろさにドップリ浸されて。
この作り手が組み上げる岸田戯曲の世界を
もっと観たいと思いました。
(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)
原作 : 岸田國士
演出 : 倉本朋幸
振付 : 野上絹代
場内の座席はちょっと不規則。
中央の、舞台と思われるスペースにも客席があって。
流石にそこはちょっと遠慮に思い、
一列後ろの、でもフロアーのテーブル席に着席。
場内の上部には役者が居続け、
となりのテーブルには鮭を加えた熊の木彫りが置いてあったりも。
すでに、女優がひとり、
中央のテーブルに板つきで、雑誌などに目を通しながら、
リラックスして時間を過ごしています。
さらには食事などを始めたりも・・・。
全体に解けた空気のなかで開演を待っていると、
外から声がかかって、その女優とともに舞台が動き出します。
『留守』
出演 : 川田希、村上直子、小林涼太
役者の気風のよい江戸言葉での言い回しに、
すっと空気が染め変わって・・・。
ものの一分も立たないうちに、
場には、それぞれの家の、主人の留守をよいことに羽根を伸ばす、
女中二人の世界が魔法のように立ち上がる。
別にたいしたことを話しているわけではない。
愚痴をいって、噂話をして、
ついでに
煎餅をちょろまかしたり、
高価な奥様の化粧水を使ってみたり・・・。
髪を結ってあげたり。
役者たちには、戯曲に込められた会話を
主人たちがいない解放感に解いて
どこか滑稽で、
でも本音がすっとあふれるような時間の肌触りに
仕立てあげていく。
その風情に観る側も染められて、
ふたりの見栄の張り方や、本音を、
外からただ眺めるのではない、
二人の呼吸や空気で受け取ってしまう。
共感することも、ちょっと気に染まぬことも、
感情というか思いの機微として訪れてくるのです。
八百屋の男衆が登場するころには、
戯曲の言葉では感じ取れない、その行間にあるような
滑稽さや下世話さが場に満ちて。
その先に浮かび上がる市井を生きる女性の、
淡々と日々を過ごす諦観と
刹那を埋める瑞々しい想いが漉き上げる風景に
心を掴まれる。
そんなに長い作品ではないのですが、
一シーンの役者の表情や間のひとつごとに見応えがあって、
ほんと、面白かったです。
『麺麭屋文六の思案』
出演 : 松木大輔、土屋咲登子、野口卓磨、斉藤麻衣子、金原直史、NIWA、 兼田利明
麺麭=パンであることも知らなかったのですが・・。
戯曲が書かれたころはそれなりに
ハイカラな食べ物だったのかも。
そうは言っても、家庭の夕餉の風景は
極めて日本的で・・・。
表層のプライドと内の度量にちょっとギャップをもった
主人の人物造形がなかなかにしたたかで、
どこかマイペースで家庭を守る妻の、
刹那ごとの細かい空気の作り方が、特に前半の場トーンを支えて。
息子の学問を志すことの建前的なものや
青臭さのようなものも良くデフォルメされ、
娘の一途さには表層だけではなくロールの芯の強さが
観る側にしっかりと伝わってきて。
家庭の日常を担保する妻にも実存感があって。
さらには、丁稚の子供の躾けきれていない感じや
下宿人の先生の所作や、隠しきれないどこか喰えない感じも、
その家の雰囲気をさらに編み上げていく。
教条的な理想やモラルと、
それと乖離した日々の生活が
舞台上にそれぞれ丁寧に描かれていて
娘と関係をもった下宿人の先生の下世話さも旨く引きだされ、
ひとつずつのロールの造詣がとてもしっかりとしているから、
今とははるかに時代が違っていても、
戯曲に置かれた男たちの表層と内側の薄っぺらさが
陳腐にならない。
で、そこに、隕石が落ちてくるという話が飛び込んできて、
明日に地球がなくなるという態で
それぞれのロールの表層が剥がれる。
映像まで絡めた勢いのある舞台が一気に立ち上って。
その狼狽からこぼれ出てくる男たちの姿が
なんとも滑稽に思える。
奇想天外な部分が、
その時代の奥にあるものを晒し、可笑しさを引きだす中で、
映像をつかった今様な部分でのデフォルメや
記者の勢いに、個々のロールが流されることなく
したたかに貫かれて。
どこかシニカルな語り口の中に、
その時代のスタイルというか風情が、
実におもしろくリアルに伝わってきたことでした。
『屋上庭園』
出演 : カトウシンスケ、武本健嗣、でく田ともみ、久保田南美
この戯曲はいろんな方が上演していて、
何度か観たことがあったのですが、
たぶん今回みたものが一番シンプルだったようにおもいます。
淡々と交わされる台詞、
過度になりすぎない抑揚、
ベースをしっかりとおもったロールのトーンが
それが戯曲本来の力を導き出して、
二人の男たちの想いを観る側に
伝えていく。
それぞれの妻たちの醸し出すものも、
男たちが作り出した色合いをうまく纏っていて、
ナチュラルな中に、男たちの想いとの距離を
しなやかに作りこんでいて。
実直に歪みなく、
シチュエーションが観る側に渡されて。
終盤近くの、
夫婦の会話が凄く良いのですよ。
久保田南美の作るロールの生活感覚がきちんと効いて、
去っていく夫婦の風情が良く作りこまれているから、
場に残った夫婦の姿に一層のペーソスが生まれる。
そのなかで、妻の思いを次第に解いていく
でく田ともみが本当によくて・・・。
残された夫の行き場のない思いが映え、
さらには、夫の見栄を包み込むように、
妻の想いが、しなやかに抑制された感情に
温度を持ち、ひとつずつの言葉毎に、
色を醸し伝わってくる。
そこには、物語の顛末に留まらない、
夫婦の時間の俯瞰が生まれ、
観る側を浸潤していくのです。
ラストシーンに、場に切り取られた二人の時間が
とても深く、愛おしく、感じられて。
終演後も、少しの間、
その余韻から抜け出すことがためらわれたことでした。
*** ***
合計9編の岸田戯曲を観終わって。
どの作品ももれなく面白いのは凄いなぁと・・・。
戯曲、演出、役者たちのそれぞれの力に捉われつつ
なにか名残惜しい気持ちに捉われて。
この作り手たちの岸田戯曲、
さらには、岸田を担う役者たちを
もっと見たいと思ったことでした。
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