モラトリアムパンツ『ぼーくらは、みんなーいーきている〜』会場の美術も一体となって
2013年4月24日/27日にモラトリアム・パンツぼーくらは、みんなーいーきている〜』『』を観ました。
24日ソワレがパンツ編、27日マチネがモラトリアム編。
今回は、夭逝された劇作家、萩原伸二さんの短編集とのこと。
彼の作品もお名前もまったく存じませんでしたが、
彼の紡ぐ世界に素直に惹かれつつ、
会場の壁面に描かれた様々な世界にも、
それらをとりこんでしなやかに物語を紡ぐ役者たちのさまざまな色にも、
心を奪われまshちあ。
(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)
脚本 : 萩原伸次
演出 : 橋本昭博
会場に入ると、いきなり目に飛び込んでくる
舞台というか場内の美術、さらに落ち着いてみると、創意が実に豊かで・・。
ポップでいろんな世界が混在し、でも散り散りになることなく
一つの空気に調和していて。
椅子も座席の位置、もいろいろにランダム。
ちょっと早めに入場できたので、それぞれの場所から会場風景を確かめて
一番お気に入りの席に腰掛けます。
なにか次第に会場の空気に自らが馴染んでくる感じがとてもよい。
そして、その感覚は戯曲を演技に紡ぎあげる役者たちの魅力と
しなやかに調和していきます。
・席替え
両編の共通演目でありつつ、
モラトリアム編は女性Ver,パンツ編は男性バージョンで。
両方見ると思春期の男女が抱くものの次第に解けていく感じの
通じるものと異なるものがさらなる広がりを生み出して・・。
同性の視点で観るからか、パンツ編(男性Ver)の方が、
なんというか主人公の自我がやや強い感じがあって、
その分、次第に解けていく想いが、
とても良い意味でまどろっこしい感じがする。
橋本昭博の想いのメリハリのつけ方の自由さを、
芝原弘が丁寧に拾い色付けしていく感じに次第に誘い込まれ、
舞台に物語られるものが、歩みをもって丁寧に伝わってくる。
モラトリアム編(女性Ver)は
佐藤睦の内向的な想いに密度があり、
その解け方にもしっかりとした質感を持っていて、
一方で佐山花織のリズムが、それを停滞ではなく
解けていく理にうまく導いて。
二人のバランスがほんの少し乖離する時間があって、
更なる精度も作れる感じはしたものの、
そのばらけ方が生み出すニュアンスがあって。
戯曲の懐の深さを感じたりもしたことでした。
・恋愛恐怖症(パンツ編)
どこかファンタジーな部分もあるのですが、
そこに作品が足を止めず、
やがて、西村ヒロミが演じるキャラクターの存在感や
ナチュラルな女性の風情と質感が
くっきりと浮かび上がってくる。
窪田壮史の作り出す距離感がしたたかで、
物語の空気を想いと現実のはざまにうまくコントロールして。
ちょっとした客いじりや美術の使い方が
観る側を編み上げられた世界に次第に同化させていく力にもなっていて。
気が付けば、主人公に去来する想いのありようが
とても自然に、舞台の風景の如く、観る側に置かれておりました。
・明日はあかね色(パンツ編)
どこかコメディ的なテイストもあるのですが、
柴田薫のロールへのデフォルメが実によく作りこまれて、
演技の勢いが空気をばらけさせることなく、
むしろ物語にフォーカスを生み出していくのも凄い。
キャラクターの要所のリアリティをしっかりと切り出していて
ドタバタした印象の先に、とても今を歩む女性の素顔を垣間見せる。
そこに引きずられる感じの横山晃子や江間みずき も
単に柴田に振り回されるのではなく、
個性自体もそのキャラクターのペースのようなものを
それぞれが重なることなく良く描き込んでいて。
どこかとほほな、戯画的な部分に観る側を巻き込む力がありつつ、
でも、そのベタさの先にある、ふっと広がるほろ苦さのようなものに
しっかりと惹きつけられました。
・忠臣蔵ブルース(モラトリアム編)
古典を置き換えるくすぐり的な部分は、
それほど珍しく感じなかったのですが、
佐野泰臣と石川修平の作り出す、
現代との重なりの精度がとてもよくて、
陳腐な印象はなく、その中間に編まれていく感覚が、
時代を跨いだ普遍としてやってくる。
アイデアをあざとく感じさせない、
空気のクオリティがあって、だからこそ、
物語と舞台上が乖離せず観る側を繋ぎとめておりました。
・ヒカリモノ(モラトリアム編)
戯曲は、ことばにできないようなニュアンスを語り、
でも、その深さを表現しうる力量が役者たちにあって。
石塚みづき には想いをクリアに立ち上げるパワーがあって捉われるのですが、
この役者さん、それをシンプルに観る側の印象に焼き付けてしまうのではなく
別の軸に乗せて動か広げていく、安定した持久力も持ち合わせていて、
キャラクターに語られる物語に留まらない、不思議な実存感が紡がれていくのです。
芝原弘が舞台全体の空気をしなやかにコントロールしていくなかで、
そのてだれの演技力と組みあって、そのまま舞台に染まるのではなく
さらに踏み出していく表現の力量に舌を巻く。
死とのエッジに立つ刹那が、概念からふっとふっと踏み出して
別のリアリティを垣間見せて。
さらには、そこに流れを重ねる加賀美秀明の貫きも凄くて、
全く異なる質感がへたれることなく、一つの束ねとして
夜を潜り抜け朝を迎えるところまで運ばれていく成り行きにも
見入ってしまいました。
夜にだからこそ存在する、虚飾とどこか薄っぺらい感覚から
ロールたちの想いのコアが滲み、さらに削ぎ出されて。
しっかりと心を捉われました。
両編を観ても、飽きることはまったくなく、
それぞれの作品の味わいを楽しむことができました。
*** ***
余談ですが・・・。パンツ編の後に観たおまけ芝居、これがねぇ、とんでもなく面白くて。
素敵にくだらないのだけれど、
シンプルさからくる頑強さを持ったつくりで・・・。
少々ルーズになっても
天丼されても全然見飽きないというか。
楽しませていただきました。
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