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鋼鉄村松『けつあごのゴメス』書き手と演出の幸せな出会い

2013年5月22日ソワレにて鋼鉄村松『けつあごのゴメス』を観ました。

会場は中野ポケット。

これまでの劇団の作風が消えることなく、一方で演出の表現が
新たな息吹を吹き込んだ感じもあって。

切れと見応えを兼ね備えた出色の舞台となりました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

脚本 : ボス村松

演出 : 山本タカ

出演 : ボス村松、ムラマツベス、バブルムラマツ、村松かずお、サラリーマン村松、村松ママンスキー、村松中華丼、小山まりあ、安藤理樹(PLAT-formance)、加藤ひろたか、多田無情、飯島周平、橋口克哉、土屋陽平、小田直輝、大貫隆行、村田くん

台本には、作り手独特のふらがあって、
なにか国籍もあいまいだし、
牛と人間の関係など、ファンタジーにまで踏み込んでいるし・・・。
でも、この舞台にはそれをまるっと受け入れさせて、
さらに作品の厚みにまで至らせる、
表現の圧倒があって。
客席中央の通路を駆け上がっていく
様々な体躯の男たちの足音が、
場内に熱を与えていく。
光を背負う闘牛士のシェイプの美しさ、
様々な時間のコントロールやミザンスの作りこみ・・。
場の展開にもよどみがなく、次第に舞台がその質量で、観る側を舞台に引きこんでいく。

遊び心もいろいろにあるのですが、
作品としての節目というか見せ場が、端正に、
しかもぎりぎりにまで研がれたメリハリとともに作られていて・・・。
もし、理詰めで律儀な脚本にこの演出であったなら、
舞台には白々しさや、
あざとくうすっぺらい肌触りも生まれてしまったかもですが、
そこに、この台本にたっぷり内包された、
作家ならではのはみ出し方が生きる。
恣意的にも思えるラフさが、
この描き方で組みあがると、
薄っぺらさが踵を返して、
舞台の熱や厚みに大変身を遂げていくのです。

さらには、刹那が混濁せず、奥行きがしなやかに垣間見えるから、
たとえば、兄が牛になるということにしても、
表層上の奇想天外を踏み越えて、
寓意が舞台にしなやかにときほどかれていく。
すると、観る側の曲に対する概念を一変させるような
男たちの強烈な「ドナドナ」が、
違和感を踏みこえて、
ちょっと表現矛盾ですが鮮烈なペーソスを醸し出し、
焼付くような印象となって
観る側を凌駕していくのです。

観ていくうちに、
これは、実に幸せな作家と演出家の出会いだとおもった。

役者たちも、ひとりずつが賑やかしにならず世界を背負っていて、
見応えがありました。
ただひとりの女優として、ヒロインを張った小山まりあ の、
舞台を背負い切る役者としての足腰にはひたすら見入った。
物語の密度や厚みに凛と立ち向かうような部分があって、
でも、しなやかさを失うことがない・・・。
この強さはとても魅力的で、
でも、細微な想いの質感も丸まることなく
伝わってくる。
実は ちょっとしたハプニングがあったりもしたのですが、
その対応が舞台の温度を醒めさせることなく、
むしろ、観る側をより取り込んだりもして。
男たちに全く埋もれることなく舞台を背負いきる、
その役者筋に惚れ惚れする。

また、客演の男優達にしても劇団員たちにしても、それぞれが、
舞台の持ち場をがっつりと担保して、
観る側を瞬時たりとも手放すことなく物語に閉じ込めてくれる。
シーンの一つずつにしても、その重なりかたにしても、
とてもよいリズムに裏打ちされた舞台でもあり、
観ていて澱むことがなく
後半にはグルーブ感すらやってくる。
観終わった後の、充足感が半端ではありませんでした。

劇団の歴史からすると
最近の観客ではあるのですが、、
それでも、作品ごとに、良い部分を失うことなく
洗練の度合いをましているような気がして・・・。
しかも、一色ではなく、いろんな色を醸し出す、
フレキシビリティを感じるのも良い。

劇団の今後の舞台にさらなる期待が生まれたことでした。

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