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Straw&Berry『マリア』ラストの秀逸を支える時間たち

2013年4月20日マチネにてStraw&Berry『マリア』を観ました。

会場は王子小劇場。

作り手ならではの、
繊細で、冷徹で、ぬくもりを持ちシニカルな、
時間の俯瞰に強く心を奪われました。

ここまでに時間とキャラクターたちの想いが、
作り手の視座から歪みなく描かれているからこそ、
最後に用意されたシーンは圧巻でした。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

脚本・演出 : 河西裕介

出演 : 佐賀モトキ、金丸慎太郎(贅沢な妥協策)、鮎川桃果、岩本えり(乞局)、岡野康弘(Mrs.fictions)、野田慈伸(桃尻犬)、野田裕貴、松澤匠、百花亜希(DULL-COLOREDPOP)

最初のシーンは、ただ見るだけ。
そこにはさしたる色もなく、
どこか閉塞した感触の男女の交わりに、
二人の関係があるがごとくに淡々と伝わってくる。
とはいうものの、役者たちには、次第に浮かび上がる、
キャラクターたちの刹那で観る側を舞台に引き入れる力があって、
観る側の記憶にさりげなくエピソードが刻み込まれていきます。
男女の、それぞれの時間がありつつ、
しかも同じ色の想いがありつつ、
それぞれが背負うものや、ベクトルの異なりも
肌触りのようなもので、観る側の意識の領域の一歩内側に置かれて。
二人の時間は、切なく、危うく、いとおしいものとしてそこにあって、
時間の先には
当然のごとくというか、訪れるべくして訪れる結末があって・・・。

そして、この結末が起点となって
その後の二人のありようが
シーンとして積み重なっていきます。
上手と下手、ふたつのスペースに、
別な世界が設えられて、
そこに二人のその後の風景が綴りこまれていく。
一年くらいずつ時が進んで、
場ごとのエピソードたちにそれぞれの過ごす日々が垣間見えて。

時間経過の事実自体は、
シンプルにテロップや
たとえば台詞のワンラインで伝わってくるだけなのですが、
舞台上には、その時間経過に裏打ちされた
様々な質感のリアリティが育まれていて。
台詞で語られる感覚や想いはもちろんのこと、
小さな仕草や小道具、
さらには役者たちの表情や醸す空気が
時間とその場の空気をルーズに繋ぎ、
刹那の向こうに日々の重なりのボリューム感が生まれ、
物語全体のなりゆきへと組みあがっていくのです。

下手の部屋での男の生活や、心のキャパや揺らぎ方が、
友人たちとの会話の端々からやってくる。
リアルでありつつ恣意的にステレオタイプな、
秀逸な母親の演技が紡ぐ日々の感触に、
男の不安定さや浮き沈みが細微に映し出されていく。
そして、上手の喫茶店では、
マスターに心惹かれ心を解く女性の表情やしぐさが
内に芽生えた温度までもしなやかに織り上げ、
やわらかく観る側をも染めていきます。
主人公たちや、その周りで時間を紡ぐ役者たちの
たとえば、所作や会話はもちろん、
その会話の間にしても、
台詞のないプレーンな時間にしても、
偶然のありようにしても、
この作り手に編まれる舞台上のことが
すべて観る側にとってひとつの時間の風景やニュアンスとなって。

さらに時がすすみ、
女の元夫からの再婚へのシンプルナメッセージの
想いの巡りから時間の質量が浮かび上がる。
男の恋人が読む書類やその後から、
男の背負い続ける時間が伝わってくる。
男と女の時間はゆっくりと醸されるひとつの時間のなかに
触れ合うことなくたゆたい・・・。
そして、終盤、上手で携帯のコールを切る女性と、
切られた男性の姿に、
それぞれに過ぎた時間が熟し、
交わりえない両極へと踏み出す刹那が
鮮やかに浮かび上がる・・・。

舞台の物理的な転換という事情もあるのでしょうけれど、
比較的長時間の映像やテロップが流されて。
これがまた実に効果的なのですよ。
最初の映像がかりそめの幸せな時間を焼き付ける。
その舞台に切り取られた時間全体を包むように流れるクレジットが、
二人が歩んだ時間への感慨を呼びおこして・・。

そして、語られた顛末の先に
冒頭のシーンがリプライズされるとき、
特に感慨もなく眺めていたその刹那が、
もはや手の届かない、 時の流れの向こうに置かれた、
なにげない記憶へのとてつもない愛おしさと喪失感に変わり
観る側を深く浸潤していくのです。
そこには、作り手が供する明確な「絶望」と「再生」の姿があって、
でも、言葉などでは括りきれない、
それらが醸成される日々の歩みの俯瞰からやってくる、
行き場のない痛みや充足感にこそ、浸され、
静かに深く凌駕され、立ちすくんでしまう。

終演後の鎮痛剤のようなおまけ芝居を観て、
一瞬霧散したように思えた感覚も、
それが終われば本編への感慨が振り子のごとくに蘇って・・
会場を離れて、降りだした雨の中に歩み出して、
でも、そのよみがえる記憶の感触は散ることなく、
心のどこかに深く刺さり置かれていたことでした。

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