アロッタファジャイナ『国家~偽伝、桓武と最澄とその時代~』時代の俯瞰に圧倒されつつ・・・
2013年3月28日ソワレにて、アロッタファジャイナ『国家~偽伝、桓武と最澄とその時代~』を観ました。
会場はTHE PIT(新国立劇場 小劇場)。
観るものを飽きさせない、舞台の豊かさに圧倒され、
世界にどっぷりと浸りつつ、
その上で、更に描かれるべきものが
どこかに垣間見えた舞台でありました。
(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)
脚本・演出 : 松枝佳紀
出演 : 遠藤雄弥、河合龍之介、本仮屋リイナ、山田悠介、真山明大、坂口りょう、南羽翔平、縄田智子、神木優、平子哲充、池内ひろ美、川上史津子、小日向えり、ナカヤマミチコ、藤波心、赤星満、市場紗蓮、内田明、江藤修平、神山健太、周本絵梨香、田中結花、中山絵莉香、畠山智行、森野美咲、八木麻衣子、渡部直也、荒戸源次郎
チケットをもぎってもらう時
目に入った3時間超・休憩なしの上演時間に少々ビビる。
でも、舞台が始まってしばらくすると、
それが全くの杞憂であったことを知りました。
入場して
四方を客席に囲まれた舞台と向こう側の客席を眺めていると、
の新国立(小)の空間はとても広く感じられて、
でも物語が語られはじめると、
たちまちのうちに、その広さだから観る側が受け取りうる空気が生まれて。
舞台に留まらず客席までが取り込まれ、
印象が散漫になることなく、
いにしえのこの国の物語がつづられていきます。
3時間を超える舞台ではあっても、
登場人物がそれぞれに歩むベクトルがぶれない。
また、観る側が置かれる視座も安定していて、
うろ覚えの長岡京遷都の歴史や、
密教文化の話、
それらが舞薄っぺらい教科書の史実から抜け出して
しっかりした骨格に組みあがり
観る側にそのなりゆきを追わせてくれる。
語り口も本当も流暢なのですよ。
シーンの繫がりも流れるようで秀逸、
一つのエピソードにオーバーラップするように
他のシーンが描き込まれ、
舞台が観る側を片時も手放さないのです。
歴史の刹那に、
事象が端正に描かれつつ、
関わった人や事象の裏地が
温度をもって作りこまれていく。
表層の顛末が、人物の想いに支えられ、
その想いも、ベタに語られるのではなく
しなやかに切り出され、
役者たちが醸す色に染められ、
観る側に供されて。
その役者たち、
人物を紡ぎ出し、あるいは舞台の枠を編み上げる解像度には
多少のばらつきはありつつも、
ロールを世界に置き、観る側に運ぶ力は担保されていて、
役者たちがそれぞれにもつ演技の切先が、
キャラクターの個性となって際立ち
史実にたいしての因果を掘り起し、
時代の肌触りを体感にまで作りこんでいく。
常ならぬオーラを持った役者が何人もいて、
その存在感にも目を奪われたのですが、
なによりも、舞台を編む一人ずつが空間の広さにしなやかに喰らいつき、
自らのもつ引き出しをしっかりと使うことで、
よしんばシーンのベクトルが少々ばらけても、
それをさらに束ねる力が舞台に生まれることが素晴らしく、
歴史の流れを台詞にとどまらない、肌に感じるもので追い続けることができて。
ひたすら舞台の空気にはまり込み、
全く見飽きることがない・・・。
3時間を超える舞台を休憩なく、
また、暗転すら極力排して描き出していく、
作り手の手法がしっかりと支えられ功を奏して。
観る側をまったく飽きさせることのない、
舞台を見せるクオリティに舌を巻く。
囲み舞台や客席の空間での演技に対して
見づらいという意見もあったみたいで、
それはそれで一理あるとは思うのですが
このやり方だからこそ生まれる空間の空気があって、
その空気が常に満ちていたからこそ、
会場全体が、魔法のように、
観る側を取り込んでくれていたようにも思えて。
ベタな言い方ですがほんとうにおもしろかったです。
ただ・・・、
観終わって、充足感に浸りつつ、
作り手が本当に舞台に描きたかったものは
史実の肌触りに留まらない、
そこを踏み台にして描かれる、時代の変革のあからさまなありようや、
それを貫く人物たちが内包するものの普遍性であったような気もして。
もしそうだとすれば、
作品のフォーカスや、シーンの重ね方は
よしんば、最後に現代から歴史の俯瞰を織り込まれたとしても、
作品から作り手の意図を何となく感じる以上の、
作品のなかでシーンを束ねての
観る側を支配する切先にまでは
作りきれていなかったように思えるのです。
その時代を描き込む作り手や役者の秀逸に
垣間見える作意がさらに細かく繫がれば、
作品は、作り手の意思とともに、さらに、鮮やかに深く、
観る側に入り込んでくるようにも感じたことでした。
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