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蜂寅企画『鉄火のいろは』時代劇「で」表す作り手の世界

2013年3月27日ソワレにて蜂寅企画『鉄火のいろは』を観ました。
会場はウエストエンドスタジオ。

場内は大入り満員、その熱気の中で演じられた舞台には、時代劇を作ることを終着駅にせず、
むしろ、時代劇から立ち上がる表現しうる作り手の世界がありました。

(ここからネタばれがあります。ご留意ください)

脚本・演出 : 中尾知代

出演 : 福島慎之介(FACEPLANNING)、島田紗良(クレイジークライマー)、亀山浩史(うさぎストライプ)、菊池祐太、安田徳、堀畑杏奈、山口紗貴、ヲギサトシ、押川賢吾(UISHAAAWORKS)、長谷川修大(THETEAM花鳥風月)、馬場史子、シトミ祐太朗、紺乃タカフミ(八角家)、小鶴璃奈(ラフメーカー)、雷時雨、桐山京、若宮亮(エムキチビート)

上演時間も決して短いわけではないのですが、
時間を感じることはまったくなく・・・。

この劇団が従前から持っていた、
時代劇的な見せ方や語り口のリズムやふくよかさが
今回もしっかりと担保され、
決めどころでのメリハリをしっかり持ちつつ、
紡がれる時間や想いが繊細に広がっていく。
シーンごとのミザンスの作り方や殺陣もよく研がれ、
舞台の近さに心地良く圧倒される。

顛末を骨太に担保しつつ
粋を粋として、華を華として描き出す、
役者たちの気概や強さに惹き込まれていきます。
時代劇的な手法で、
役者達が刹那ごとに紡ぐ想いが、
観る側をしなやかに幕末に招き入れ、
その時代が「今」としてビビッドに舞台に折りあがっていく。
作り手の語り口にも、従前の作品以上のメリハリが生まれ、
観客を舞台の世界に閉じ込めてしまう。

そして、時間の構造や景色の描写に、
舞台上の「今」は、もう一歩踏み込んで
刹那ごとの空気や肌触りのいとおしさへと至るにとどまらず、
その時代から連綿として繰り返される
時間を呑み込む出来事と再生の俯瞰へと
昇華していくのです。

地震や大火、さらには戦火で焼けた江戸の、
そして東京の街たち、
そこにあった個々のさまざまなものへのいとおしさと、
そのノスタルジーからさらに歩を進める姿が
この国の今のありようとなり、座標となり、
すっと物語に重なる。
それは、今を今で描くほどあからさまではなく、
でも、だからこそ、受け取りうる感覚があって。

従前の公演から比べても、
作り手は時代劇「を」ではなく時代劇「で」描く力を
手に入れたように感じた。
時代劇のために時代劇を作るのではなく、
時代劇を通しての描く作意が作品にはあって、
台本にもそれを舞台に乗せる役者たちにも、
表層の形式に窮屈になるのではなく、
その表現だから描きうるものの深さや広がりが生まれていて。

物語の分かりやすさとか、役者の見せ方とか、
時代劇だからより為し得る部分をうまく使いつつ
でも、その殻に閉じこもることなく、
作意をしっかりと抱いて、
作りこまれた舞台空間。
こういう作品を見せてもらえると、
単に時代劇のテイストを楽しむということではない、
もっと広く大きな作り手の描き出すものへの興味がググッと増していくというもの。

志をもつもの、あるいは遊び心を極めるもの、
時には古典に切り込んでも、べたなド時代劇でもよい。
時代劇を手なずけた劇団の、そしてこの作り手の、
今後の公演が実に楽しみになりました。

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