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年年有魚『DOLLY ~Faure:Dolly,op.56~』女性達の雰囲気を切り取るしたたかな仕掛け

2013年4月12日ソワレにて年年有魚『DOLLY ~Faure:Dolly,op.56~』を観ました。

会場は東中野RAFT。

作り手の仕掛けに、見事に浮かび上がる女性達の姿がありました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

脚本・演出 : 森下雄貴

出演 : 平田暁子、トツカユミコ、前有佳、松下知世、小谷美裕、阿波屋鮎美、林弥生(海ガメのゴサン)、大塚あかね(タテヨコ企画)、辻川幸代(ニュアンサー)、高本りな、

入場するとそのまま奥へ。入ってきた側を眺めるように客席がしつらえてあって。
むかって下手側のアップライトピアノが目を惹きます。

ちょっとサロン風のスペース。
二人の女性のピアノの連弾から舞台が始まります。

最初はその演奏と続くシーンを追っていくだけ。
そこには、ありふれた女性たちの集いの風景が、
さりげなく描かれていく。
少しずつその場に人が集って
物語には適度な盛り上がりと、高揚と、気まずさと、収まりのつけ方があって・・・。
また、不思議に10人の女優たちそれぞれの個性がかぶらず、
キャラクターの雰囲気がしっかりと印象に残って。
そのなかに、男がちょっと入り込みにくい
女性たちの時間が組みあがっていく。

やがて物語はピアノの演奏に至り、
ひとつのターンが終わるとともに、
舞台はループするように新たな始まりに導かれて。
気がつけば、同じシークエンスが、
キャラクターが担うロールを変えて繰り返されている。
役者と役名はそのままに、
そのシークエンスで担う役割のみ入れ違って
同じトーンで舞台が組上がっていきます。

3度目、ロールの変化に加えて
舞台上のトーンまでが塗り替えられて・・・。
そのきゃぴきゃぴしたデフォルメが、
演じる役者たちに合っているかといわれると
少々シュールな部分がないわけではないのだけれど、
だからこそ、舞台に組みあがるものの
ありようや普遍性はより鮮やかに伝わってくる。

4度目には、もはや、
色調や其々のロールが担うものすら削ぎ落され
演じられる4度目のシークエンスに、息を呑む。
最初は女性たちのありふれた時間の風景が、
モノトーンの中に、骨組みを露わにし、
観る側の眼前に揺らぐことなく存在しているのです。

そこには描かれた時間の本質を切り出す
作り手の慧眼があり、
それらを与えられた条件の中にぶれることなく
その肌触りを紡ぎあげ、描き出す、
役者たちの演ずる力のしなやかさを深く強く
感じることができて。

5回目に演じられるシークエンスは
最初と同じに演じられて・・・。
でも、そこから受ける印象は
もはや冒頭とは同じではない・・・。
男に少々理解しえない
女性たちの時間のベースや
距離感やロールのやり取りや、収まりのつかなさの感覚までが、
裏付けとともに
細微に、しなやかに伝わってきました。

観劇は初日でしたが、
作り手が当パンに書いているように、
それぞれに描かれるものの精度は
役者たちによってさらに研がれていく予感もあり、
単なるワンアイデアの提示のツールにとどまらない、
名付けられた10のキャラクターの個性にも
この役者たちが演じ込むことで
さらに広がるであろう魅力もあって。

観終わって、作り手の企みにガッツリ嵌ったことを悟り、
ちょっと悔しくさえ思えて(超褒め言葉)。
また、この仕組みの中で、役者達それぞれから、
あざとさを持たずにしっかりと伝わってくる
「演じる」力に心を惹かれ
組み上げる女性の質感に掴まれたことでした。

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