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北九州芸術劇場プロデュース「LAND→SCAPE/海を眺望→街を展望」時を描き出す新たな手腕

2013年3月9日ソワレにて、
北九州藝術劇場プロデュース「LAND→SCAPE/海を眺望→街を展望」を観ました。
会場は東池袋のあうるすぽっと。

様々な役者たちが織りなす舞台に、
これまでの作り手が描き出すものとは、
異なる時間の質感も紡がれて・・・。

舞台自体の秀逸に加えて、作り手のさらに新たな手法の進化を感じました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

作・演出 : 藤田貴大

出演   : 荒巻百合、大石英史、折元沙亜耶、小林類、佐藤友美(劇団C4)、田口美穂、田中克美(超人気族) 中嶋さと(14+)、仲島広隆、中前夏来、鍋島久美子、野崎聡史(ZERO COMPANY) 船津健太、的場裕美、森岡光(不思議少年)、安永ヒロ子、李そじん 
尾野島慎太朗、成田亜佑美、吉田聡子

いつもの入口とは違って、舞台側の出入り口から入場。
舞台上にも周囲に座席が組まれていて、囲まれた空間のなかに世界があって。
見上げると、船底がさらされていたり、
街頭スピーカーなども目をひく。
具象ということではないのだが、
そこにはすでに作品の風情があって・・・。

開演前のざわつきが消え、
静寂の後に最初の言葉が紡がれて・・・。
舞台は、作り手の他の作品同様、
その場の時間景を少しずつ解いていきます。
リズムが刻まれ、ルーティンが生まれ、
場が呼吸を始める。
今回は小倉という街が明確にあり、
それ故に、いつものような見知らぬ街の出来事というよりは
訪れた街に次第に馴染んでいくような、
よしんば訪れたことはなくても、
次第に街並みが観る側にもなじんでくるような感覚があって。

重ねられていくエピソードたち、
姉妹、あるいは友人、もしくは家族・・・。
街を出て再びその地に足を踏み入れるキャラクターと
その町にずっと暮らし続けるキャラクターが
小倉の街を舞台に交差し、
或いは束ねられ、風景に時間を刻み込んでいく。

場を物語る技法自体は、マームとジプシーの作品から
大きく変わっているわけではない。
キーになる部分には劇団の役者達が
配され支えている感じもあって・・・。

でも、この舞台、
描かれていく過去と今を繋ぐものの質感が、
これまでの作り手のものとかなり違って感じられるのです。
なんだろ、今の向こう側に少しずつ過去が織りあがっていくなかで、
従前の作品では溢れるようにかもし出され膨らんでいった
過去の縛めを解かれたような広がりが
この作品では
同じ街の時間として滅失することも解かれることもなく、
そのままに今へと戻ってくる。
紡がれる過去の出来事と
舞台上の今の視座がそのままに重なる感じ。
その質量を手放したような時間は、
繰り返し描かれる時を隔ても、
変わることのない街の風景たちに帰納するのです。

息を呑むような切っ先で描かれた
姉妹の仲たがいの刹那は、
まるで今のことのようにそこにあり、
鈍色にあふれ出す兄への思いは静かに海へと沈み、
久しぶりにその街を訪れる女性は
細微な揺らぎを描きながら
時を隔てて変わらない街の空気に浸されて・・・。
流れ積もった時間たちが醸すものたちが、
変わらない街に溶け込んでしまうような感覚があって。
一夜を刻むリズムのグルーブ感や、
無くした兄への想いに駆られて海へと出る船の疾走感、
それらは夜から朝への時間の存在感を与えつつ
でも、その時間は従前の作り手の作品のような
観る側を凌駕するようなベクトルで過去に向けた質量を呼び込むのではなく
描き出されたエビソードの、
繰り返し描かれる街の風情に滅失していく時間の
質量の肌触りに収束していくのです。

作り手は舞台上の時をただやみくもに舞台に放つのではなく
0にも極大に至るまでにも細微にコントロールする
新たな表現のテクニックを見い出し、
その時間の質量だから生まれるフォーカスを手にしたのだと思う。
その果実から紡がれるもの、
友人や家族が結ばれ、子供ができ、
あるいは年老い、逝く中で、
変わることのない街の風景や 時間の違和感は
舞台のエピソードに塗りつぶされることなく街の風景に取り込まれて。、
その風景からやってくる 言葉にならないような感慨のなかにゆっくりと溶けていく。
様々に抱いていた過去と今が、
すっ今の時間のそれぞれの風景に束ねられて、
その感覚から、自らの立ち位置や記憶と記憶の間に過ごした時間のに想いが至って・・・。

作り手の、時間を手なづけ、
表現に編み込む新たな力に目を瞠りつつ、
ゆっくりと深く訪れる、
見知らぬ、でも間違いなく存在する街の時間と風景に
再び身をゆだねてしまったことでした。

*** ***

この公演を観た二日後が2年目の3.11・・・。
会社でも黙祷がささげられたのですが、
その最中に、この舞台を思い出し津波たちがさらって行った風景に思いを馳せる。

街が失われるということは、
その街に繫がれた時間が失われてしまったということで、
復興というのは、街を再生するなかで、
その時間も風景のなかに、
最初から重ねていかなければならないことに
今さらながらに気が付いて。

一瞬、立ちすくむような心持ちに捉われてしまったことでした

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