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荒川チョモランマ『  』礼拝堂を世界に変えて

2013年3月11日ソワレにて、荒川チョモランマ『 』を観ました。

会場は日本基督教団巣鴨教会。

昼間、会社では防災訓練があり、2:46には全社で黙祷が捧げられて。
昼休みに通ったJR新橋駅の前では岩手日報の「東日本大震災2年」という号外が配布されていたり・・。

そんな一日を終えて、JR大塚駅から会場へと向かいます。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください。)

脚本・演出 : 長田莉奈

出演     : 相川春樹、モンゴル石井、吉武奈朋美

会場は教会、礼拝堂に入ると
ベットを使った台が中央に据えられ、
雑多に物が置かれて・・・。
風船、ストローやキャンドル、絵本・・・、

それが、客入れの音楽と重なり合って、
いろんな風景に見えてくる。
シューマンのピアノ曲、ビートルズ・・・、
教会の空気と雑多なものが音に染まって・・・。
舞台美術というよりは、それ自体がインスタレーションのようでもあり、
受付で渡されたメッセージを読むと
3.11の風景と、それからの記憶の具象のようにも思えてくる。
開演が近づくと、少しずつ場内の光が減じられて、
観る側はその中に紡がれるドラマの世界に導かれていきます。

最初は、闇の中に表れた人物がそれぞれの手に持つライトに照らされて、
動きや台詞たちにゆっくりとその関係がほどけていく。
3人の関係が断片的に紡がれ、
少しずつ繫がり、彼らの時間が観る側に満ちていく。

教会の息子の女性へのストーカーまがいのことも、
更に深くにある記憶のなかで二人が共有した秘密のことも、
空の星たちも、パンツも、下駄箱の手紙も、嫉妬も、
彼女が男を愛せなかったわけも
その友達の女性の男への男の子への想いも、
パンツも、下駄箱の手紙も、嫉妬も、3人の顛末も
記憶の引き出しから一つずつあふれ出して・・・・。

ちぎられた新聞の遠くの大地震の記事が
女性の死をあいまいに男に告げ、
でも、女性は彼の中でそのままに生き続け、
彼のもとを訪れる。
冒頭に取り込まれた舞台の風情のなかで、
劇的でもなく、でもビビッドに、時にはルーズに淡々と、
男の記憶が観る側をも満たしていく。

入場時に渡されたカードには
今年の3.11に加えて、
さらに訪れる3.11の表記があって
そこに舞台の世界が重なると、
消え去った女性のそのままにあることがとても心に残って。
突然に失われたもの、静かに滅失していくもの、
そして消えずに再びおとずれるもの。
繫がれたシーンの間の時間が霧散して、
記憶と現の端境に編み上がる想いのビビッドさにも捉われ、
その先におかれた、きっと抱き続ける時間の質感も
そのままに残って。
きっと、あの3月11日は、沢山の人生に、
こんな感覚を刻み付け、
いくたりの年が過ぎた3.11にも、
彼女は再び扉をたたくのだろうなぁと思う。
観終わっても少しの間、礼拝堂の空間に身をおいて、
過ごしてきた時間やこれから歩む時間のことを
ぼんやりと考えてしまいました。

役者のこと、相川春樹はどこか内向的な男の常ならぬ普通を
トーンとして作り上げていて、キャラクターを包括して纏うなかに
刹那の感情をすっと切り出す力もあって。
モンゴル石井には何層かの強さを使い分けるような力があって
キャラクタの想いの姿を立体感とともに編み上げていく。
ロールの質感が平板にならないことで、
物語の奥行きをしっかりと作り上げて見せる。
吉武奈朋美には刹那の印象を立ち上げる力と
その印象を幾重にも膨らませていく演技の豊かさがあって。
観る側にキャラクター自体だけではなく
場の空気を含めて渡すような演技のふくよかさに見入る。
鋭さと広がりのフォーカスの作り方がとてもしなやかで
キャラクターのデフォルメのなかに
観る側がそのままに受け取ってしまうロールの実存感があって。
個性と演ずる筋肉のそれぞれが従前の舞台と比べて
さらに進化しているように感じる。

素敵な刹那もあり、ビターな物語もあり、
痛みも、満ちたものも、喪失感も感じて。
それらを包括した時間の重なりに
やわらかく深く捉えられてしまいました

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