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悪い芝居『キャッチャーインザ闇』デフォルメを支えるデッサン力と創意

2013年3月20日ソワレにて悪い芝居『キャッチャーインザ闇』を観ました。会場は王子小劇場。

その世界に深く惹き込まれ、どうしても再び観たくなり、23日ソワレにて再見。

悪い芝居は、少なくても最近見た東京公演では、
毎回異なる作風を持ちつつ、
観る側を様々に揺さぶるような感覚が内包されていて。
今回も舞台を満たす世界観と
それを支える作り手の内心のデッサン力に圧倒されました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

脚本・演出・出演 : 山崎彬

出演 : 大川原瑞穂、池川貴清、植田順平、呉城久美、宮下絵馬、森井めぐみ、北岸淳生、山崎彬、田川徳子(劇団赤鬼)、大塚宣幸(大阪バンガー帝国)、福原冠

闇から物語は綴られ始める。
その、観客の舞台への導き方がとてもしたたか、
耳をそばだたせ、
肌で感じさせ、五感を研ぎ澄まさせて、肌の感覚までも舞台に向けさせる。
そして次第に闇を解き、開けていく世界のそのミザンスに
引き込んでしまう。

登場人物たちが交互に組み上げる三つの世界に、
異なるベクトルが次第に形作られ、
その一つづずつが歩み、交差し、
世界が厚みを持ち広がっていきます。
個々の世界に紡がれる物語が、
それぞれに奥行きを持ち
とてもルーズに互いを照らし、
切っ先を研がれつつ熱を帯びていく。
ロールたちが織り上げるなりゆきのなかに、
表層に留まらない、
それぞれの世界の呼吸や鼓動や肌触りが観る側に残り、
次第にそれぞれの空気が寄りあがって観る側をさらに引き込んで。
ビビッドで、ストイックで、グルーブ感があって、
タイトでルーズな世界の重なりの先に
舞台上にある様々な感覚や思索が姿を露わにし、
満ち、溢れ、混沌に至る。

求める気持ち、苛立ち、表裏の感覚、
見えるもの、隠れるもの、浮かび上がるもの、
突き破るもの・・・、滅失するもの・・・、
なんだろ・・・、
たとえば眠れない夜に心が澄み、
記憶の扉から漏れ出てくるものに想いが広がるがごとく、
舞台は心を揺らぶられていくような想いのループに嵌りこみ、
振り返り、思索の坩堝の中で、
満ちることのない様々なものに想いを馳せるような・・・。
更に言えば、私のようなけっこう歳を喰った者には
若いころの想いが時間の舫いを解かれ、
たゆたう自らのなかで幾通りにも蘇り邂逅していくようにも感じられたり・・・。

語られる物語の視座も揺らぐことなくしっかりと置かれて。
その中で
役者たちの、身体の切れやニュアンスの立ち上がりの早さと深さ、
さらには単にそれぞれのロールを
物語に織り入れるれるにとどまらない、
其々の切先とともに観る側に刺さりこむようなテンションに
深く捉われていく。
衣装が観る側の目を奪うにとどまらず、
キャラクターが纏うものを際立たせる。
美術や効果も秀逸で、描き出すが世界のありようや揺らぎを滞らせないパワーや工夫や洗練があって、
さらにはラストの闇が崩れ落ちるような感覚を導く外連に息を呑む。
レーザーなども使い、場の色をメリハリをもって浮かび上がらせる 照明も
単に場を照らすだけではなく表現を内包していて。

役者たちのこと、
視力を取り戻した妻を演じた田川徳子には見えることの感動や無垢な中に潜む頑迷さを
真っ直ぐに注ぎ込むような強さがあって、美しいだけではなく、その先にある避けがたく処し難い純粋さのようなものが伝わってくる。
夫役の山崎彬が作り出すステレオタイプな優しい夫の匂いにも、単に愛妻家の裏表にとどまらないなにかを満たすような意思が差し込まれていて。
愛人を演じた森井めぐみ のキャラクターにもずるさだけではない真摯さや厚みがあり、下世話な部分も含めて妻の純粋さから削ぎ落されたものをすべて引き受けるようなロールの懐の深さのようなものが醸し出されていて。また、演じるロールの感情や思惑に直接・間接それぞれでの温度を込めるような演技の深さがあってあって捉えられる。

ランナーとして走る感覚を追いかけていく大川原瑞穂には、刹那に息を呑むようなテンションを立ち上げ、へたることなく貫き通す力があって。また、一つの座標の同じ佇まいのなかにテンションのグラデーションを織り込んだりすっとトーンや感情を消して塗り替えたりといろいろな演技のひきだしがあり、観る側を、強く深くロールの捉われた感覚に導いていく。瞳にも表情のある役者さんでまなざしひとつで幾重にも想いを語れるのは凄い。
もうひとりのランナーを演じる呉城久美にもいくつもの想いのニュアンスを同時に編みこむような表現力があって引き寄せられる。表情のなかに、シーンの表裏や複層的な想いをしなやかに紡ぎこみ、さらには演じるロール自体が醸す実存感にとどまらず、突き抜ける大川原のロールとの対比に組みあがるニュアンスを鮮やかに際立たせていく。また、ちょっとした気持ちのほどけ方や隠し方にも、この人ならではの解像力に裏付けられたテイストがあって見入る。
コーチを演じた大塚宣幸はその身体の切れに驚くが、一方でロールに託されたものをランナーたちの作り出す密度にきっちりと縒り合せる演技のしなやかさがあって。強い演技が浮いたりあざとくならず、場にすっとなじむ感じも良い。
宮下絵馬にはこれら3人の密度から一歩引いても減じない存在感があって、物語に客観的な見え方をつくり閉塞させない。なんというか、この役者ならではの味わいが舞台にしっかり機能して。

福原冠は、東京がホーム(のはず)で他の出演者に比べて観る機会も多い役者さん、最近舞台では身体での表現が前に出る役柄を観る事が多かったけれど、今回は表現の豊かさのベクトルを内側に向け、キャラクターの想いに細微な襞をつけていく。性格俳優然とした想いの作りこみにこの人の役者としての力量を感じて。
池川貴清が演じるロールから醸し出される忘却や滅失感の裏側には、自らへの悪意のない失望と諦観と無垢さがしなやかに仕込まれていて、観る側に降りてくる苛立ちも薄っぺらにならず余韻を残していく。足腰がしっかりした実直な演技だと思う。
教条的な価値観を背負う植田順平の芝居には観る側に対する表層的な威圧感がうまく作りこまれていて、福原・池川が編み上げる世界を土台から支えてみせる。 
北岸淳生は質感の軽い演技に厳然とした事実の重さをさらっと場に差し込む感じがうまい。派手な演技ではないのだけれど物語をぼかさずにその輪郭をくっきりと支えて。

終盤の舞台はおろか会場全体を席巻する激しい昂揚の末に、
全てが世界に収まり、妻が捜し求めていた風景に帰り着いたとき、
なんだろ、そこには、不思議な慰安があって・・・。
舞台の世界に、そして引き出されゆすぶられた観る側の記憶のなかに
エピソード達から削ぎだされた、
風景たちとその顛末のありようがすっと重なったように感じられたことでした。
作品の印象の先には
精緻に描き取られた、作り手の心の内を彷徨する想いの精緻な感覚が
垣間見えたような気もして。

この作り手だからこそ切り取りえたであろう
去来する想いの風景に深く捉われ、
それをデフォルメし舞台に描き出すための様々な創意に
舌を巻いたことでした。

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