東葛スポーツ『ドッグヴィル』元ネタを切取り供する腕の冴え
2013年2月11日ソワレにて東葛スポーツ『ドッグヴィル』を観ました。
会場は銀座線末広町から程近い、3331 Arts Chiyoda。
東葛スポーツについては、前回の『ビート・ジェネレーション』がとんでもなく面白くて、
今回も期待大。
楽日しか見ることができなかったので、
楽しみもれの少ないように(笑)、
ニコ動で元ネタを一通り鑑賞してからの観劇となりました。
その、映画版『ドックヴィル』、
とても不思議な構造や感触を持った作品で・・。
なんというか、映画的な多くの具象を放棄して、
舞台のような構造に描かれるものの本質を委ね
演劇的な構造の中に、
人間が根源的に内包している善良さの裏側が
剥ぎだされていく展開がものすごく面白くて、
観劇の予習という目的などすぐに忘れて見入ってしまう。
そうして、映画の世界を知った後に舞台を観て、
さらに異なるテイストに触れて・・・。
もう、『ドッグヴィル』の世界に幾色にも浸されてしまいました。
(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください。)
脚本・演出 : 金山寿甲
出演 : 佐々木幸子(野鳩)、松村翔子、川面千晶(ハイバイ)、森翔太(ex悪魔のしるし)、三上奈都子、川崎麻里子、堀口聡、鎌田順也(ナカゴー)
会場は、もと学校だったそうで・・・。
ショーケースを思わせるような、ガラス張りの、
クリアな印象の空間。
その中央の舞台面には、映画で見慣れた、
街の俯瞰図が描かれていて・・・。
舞台が始まって映画の世界に導かれるまでのラップが、
すでにガッツリと面白く、
すいっと
本編に取り込まれていきます。
出演者たちは、みなサングラス、
物語がラップに変換されると、
その色が変わるのが心地良くて。
そのうちに、舞台上の表現と
映画の世界とラップで紡がれるシーンの
つながりのバリエーションの豊かさにも取り込まれていく。
映画のシーンにしっかりと重ねられる部分も多くありつつ、
そのニュアンスがラップで語られることによって
置き換わったり、裏側が剥ぎだされたり、
作品から踏み出して、
広がったりするのがガッツリと面白い。
結構律儀に原典のニュアンスを描き込む力と、
意訳の如く別の表現を引っ張り込んでくる部分と、
シーンを踏み台にして、
とんでもない方に舞台を運ぶセンスが
絡み合って、
観る側を東葛スポーツ流の、緩くて密度をもった時間に閉じ込めていく。
役者たちも上手いのですよ。
実力派といわれ実績もしっかりある面々なのですが、
一人ずつに、守りに入ることなく
しっかりと攻めてる感じがあって、
ラップの態が崩れないだけでなく、
個々に異なる色や切れがしなやかにのっかっているし、
観る側を引き入れるテンションを担保しつつ
映画の世界に足を置き、
でもそこに閉じ込められない演技の手練があって。
原作の映画とテイストは異なるし、
というか素敵に、あからさまに、いろいろに、
切り取られ、削がれ、はみ出しているのだけれど、
でも、要の部分は手放していないというか
舞台を、観る側が感じる映画のコアから乖離させてはいない。
で、ニュアンスを手放していないから、
特に後半の
可愛い子犬でシーンを置き換えたり、
鎖の先のボールのお題を語ったり、
フレッドアステアのダンスを引き入れての屋外への展開というような
大技・小技が、
作品を散漫にすることなく観る側を巻き込み、
ベクトルを持った作品の広がりや高揚へと昇華していく。
ラップで綴られてても、映画がそのコアで語るものまでが埋もれてしまうわけではなく、
寧ろ舞台にあるものが、映画に描かれるものの立体感となってやってくるのです。
前回公演とは一味異なった印象の作品でしたが、
むしろ、そこに作り手の才の深さを感じたりも。
映画の流れにそって、
でも、映画の世界に留まらない、
この作り手と役者の表現だからこその質感に
舞台の厚みをしっかりと感じつつ・・・。
ほんと、しっかりと嵌ってしまいました。
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