音楽劇「ファンファーレ」とても良く、でももっと!と思う。
2012年10月2日ソワレにて音楽劇「ファンファーレ」を観ました。
会場は三軒茶屋のシアタートラム。
楽しかったです。時間を忘れて見入った。
その一方で、作品の完成感にとどまらない、
さらなる可能性も感じました。
(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)
脚本・演出 : 柴幸男(ままごと)
振付・演出 : 白神ももこ(モモンガ・コンプレックス)
音楽・演出 : 三浦康嗣(口ロロ)
出演 :坂本美雨、今井尋也、今村洋一、初夏、大柿友哉、北川結、重岡佐都子、清水久美子、名児耶ゆり、西尾大介、bable、柳瀬大輔
自由席、整理番号の配布もなく、ロビーに列を作って並んで開場を待ちます。
この舞台は、すでにその時間が醸すときめきから
始まっているにも思えて。
場内に入るとネオンの「ファンファーレ」の文字が目を引く。
深紅の幕と板張りの床。
やがて開演すると
登場人物たちが劇場のあちらこちらからあふれ出してくるような
冒頭のシーンから、
観ていてあっという間に舞台のペースに乗せられる。
パーツの積み重ねのように重ねられていく音楽や、
すっと立ち上がり、絶妙にバラけ、そのキレで観る側の目を奪い
場の色を編み上げていくダンスたち。
どこかおとぎばなしのような、
切なさとわくわくが
たっぷりの創意に浸された
物語の骨組みから滴り落ちてくる。
演者たちにも、一歩観る側の期待の先を行く
パフォーマーとしての力量があって。
音楽劇としての基礎である歌には、観る側を捉えて離さないクオリティがあるし、
ダンスをふんだんに盛り込んだ役者の動きにも、
遊び心に満ちた洒脱な表現があって
身体から紡がれるものに
クリアでふくよかな広がりを感じる。
ホルンやドラムなど小道具としての楽器の使い方とか、
人が作る壁のうごきとか、様々なアイデアやウィットに幾重にも惹かれて。
観ていて、とても楽しいし、
そのなかに浮かび上がる、
絵本のような世界に込められた
人が生きることの質感にも深く柔らかく染められて。
気がつけば、
さりげなくぞくっとくるような精度に支えられた、
物語の顛末が心に残り
ほんの少しだけダルに、
作り物の質感をそのままにやってくる生きる事の実感が
どこか行き場がなく切ないままに、
その猥雑で嘘っぽい世界の諦観と達観の狭間に、
観る側を閉じ込めて、
終演時には、単なる楽しさだけではないたゆたう何かが観るがわの心に残る。
夢と現実の端境で童話を読み聞かされたような、
不思議な気分に浸されて。
ただ、なんだろ、観終わって
満たされ驚きつつも、
どこか淡白な感じというか、物足りなさが残ったのも事実。
舞台はとても「良い」ものだったけれど、
観る側の期待のさらに上を疾走するような
「凄い」舞台にはまだ至っていないようにも思えるのです。
ダンスも音楽も物語も、それぞれが他の要素とうまく調和して
みる側を誘い込んでくれるのですが、
逆に舞台の表現の範囲がその調和の内側に定められ、
描かれているような気もして
さまざまな要素がくみ上がった時、
物語にしても、歌にしても、ダンスにしても、
それぞれのイマジネーションや遊び心が、
端正で小奇麗な重なりのなかで足踏みをしているような感じもする。
もっと踏み出し、観る側を圧倒していく力が
作品をバランスの内で封じ込められているようにも感じられて。
調和は舞台のクオリティにとって不可欠なもので、
それが担保されているからこそ、
見ていて「良い舞台だなぁ」と感じるのだとは思うけれど、
でも、調和していることはこの舞台の終着点ではなく
作り手や演じ手の創意や能力の片鱗を観た観客が
さらに期待するものすら凌駕し愕然とさせるような、
「凄い」舞台への出発点に過ぎないとも思えるのです。
舞台の空間の使い方や、美術の色使いのバラバラの統一性、
衣装も証明も観る側を世界に惹き込んで・・・。
その満ちた舞台は、更になにかが解き放たれることを
心待ちにしているようにも感じられたことでした。
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