Tokyo Players Collection「SUMMERTIME」季節の空気で歩みを描き出す
2012年8月30日ソワレにてTokyo Players Collection「SUMMERTIME]を観ました。
会場は早稲田LIFT。
残暑がまだ厳しくて、ちょっと蒸して。
ちょっと裏通りにあるギャラリーで、
扇子を片手に、こんなところにお芝居をする場所があるのかなぁと
ちょっと不安に駆られながら、
開場を待ちます。
(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)
脚本・演出 : 上野友之
会場の早稲田 LIFTはとても面白い空間で、
吹き抜け(たぶん工場か倉庫の名残り)があって
1Fにあたる上部の音(声)がBFの空間に
とてもきれいに重なる。
その広がりには
絶妙に時間を湛える力があって
四人の女優が演じる二人の女性の二つの時間の物語が、
豊かにくみ上がっていきます。
幼いころの記憶、そして大人の女性の抱くもの、
それらがあからさまに舞台に広がるのではなく
エピソードとして観る側におかれ、
二つの時間の緩やかなつながりに導かれるように
ゆっくりとほどけていく。
過去の一つずつのエピソードのコンテンツが、
ナチュラルで、どこにもありそうで、
でも、しっかりと心に残るような夏の風情に磨き上げられていて。
夏休みのゆったりした時間に織り込まれた
風呂上がりの心地良さ、西瓜、かき氷、魚つり、花火の想いで、
それらがキャラクターの時間のなかに
差し込まれるたびに
役者たちのしなやかに季節を纏う演技のふくよかさが、
シーンにとても自然な夏の終わりの肌触りを与えて。
その時代と
ふたりの女性の歩んだ時間と
再び束ねられた今が
記憶の質感とともに観る側を染め、想いを映し広がっていく。
ほんの少し苦く、
重さにならないほどに淡く、
でも深く満ちて、
気がつけば、キャラクターとともにその時間を抱いている・・。
役者たちには、夏の風情をしっかりと観る側に伝えるにとどまらない
ロールを支えるためのそれぞれに異なった良さがあって。
小学生を演じた李そじん のお芝居には、
想いを素描で表現するような、
恣意的に作られた感情のラフさや濃淡が作りこまれいて、
観る側にその奥にある想いの揺らぎが
直書きされたがごとくにそのまま入り込んでくる。
一方ロールの年齢にあわせた感情の深度も細かく制御されていて、
役者としての安定した技量を感じる
その未来を演じた相楽樹も、
キャラクターが持つ不器用さのようなものを
台詞だけではなく、
言葉の向こう側に生まれる空気に密度の濃淡を作って表現して。
17歳とまだ若い役者さんなのですが、
想いの移ろいを質感を変えて表現する引き出しがあったり、
中盤以降にはロールに生まれる思いの色合いや抱く感情を
安易に手から離すのではではなく、
一瞬の逡巡に込めて解き放つような間の作り方も生まれて。
初見でしたが、この人、今の力に加えて、
この先どんな表現の武器を身につけていくのかが
すごく楽しみになる。
もう一人の女性の若い頃を演じた松本みゆきは、
ロールに置かれたたおやかさを紡ぎつつ、
女性が生来持つ強さや繊細な想いの質感を
その少し内に透かし重ねて見せる。
先月シンクロ少女で観たときにも感じたのですが
この人のお芝居には所作にやわらかさと
場の空気を淀ませない切れが共存していて、
キャラクターをすっと立ち上げて、
観る側が身構えるまえに印象を描き込んでしまう力があって。
際立った派手さはないのですが、織り上げるひとつずつの刹那が旨いなぁと思う。
その未来を演じた冬月ちき には
一人の女性の時間を纏う演技の幅と安定があり、
織り上げる空気が、その歩みを裏打ちし
過去の時間までを包括した今を
しなやかにひとつの舞台のうちに編み上げ、収めていく。
終わってみれば舞台に広がる世界の屋台骨を支えつつ、
描き出されるものには
単なる一人の女性のイメージの醸成の範疇にとどまらない
女性としての立ち位置のエッジと過去の時間への俯瞰があって。
翌年に結婚を控えた女性のナチュラルな想いの瑞々しさが
観る側を浸潤していく。
短めの上演時間も、会場や作品のテイストにフィットしていたように思います。
何気ない照明のメリハリや音の響きのコントロールも秀逸、
役者それぞれの描き出す色に加えて
上野作劇の冴えをたっぷりと感じることができる
秀作でありました。
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コメント
Not so poor. Intriguing things here
投稿: Leo Soni | 2012/09/19 20:18