Borobon企画「涼~すずみ~水」ラフな舞台を塗り替える芝居の上質さ
2012年7月17日ソワレにて、Borobon企画、「涼~すずみ~水」を観に行きました。
会場は江戸川橋のPerforming Gallery &Cafe 絵空箱。
会場に入ると、ちょっと恣意的に思える雑さで作られた舞台があって、
かえって、そこにどんな空間が現れるのかわくわくする。
そして、ワンドリンクのカシスオレンジのびっくりするおいしさに
期待はますますたかまって。
その期待に違わないお芝居を堪能しました。
(ここからネタばれがあります。十分にご竜ください。)
*あやめ十八番(堀越チーム)/「Love potion #9」
作・演出 : 堀越 涼
男を問い詰める女性の姿と
主宰の語りでまずは観る側を舞台に引き込んで、
一枚の消費者金融のカードをキーにして、
物語を組み上げていく。
二人の女優がロールをきっちりと務め上げていきます。
堤千穂はコアの物語を背負って、空間をいっぱいに使い
いくつもの引き出しを柔軟に組み合わせて、
キャラクターを清純に、あるいは艶かしく、さらにはとり憑かれたように描く。
舞台中央にほぼ居続けの大森茉利子は、
枠組みを制御し、展開を束ね、場面の表情を背負い、
観る側に物語の機微を流し込み伝える。
その、献身的なお芝居のなかに織り込まれた
舞台全体の密度や色をしなやかにコントロールする力に息を呑む。
男優達もキャラクターの立ち位置がくっきりとわかるお芝居。
堀越涼の物語に観る側を包み込むしたたかなチャラさにしても、
笹木晧太のどこか弱さを織り込んだ絶妙な普通さにしても、
美斉津恵友の説得力をもった意思の強さにしても、
ストレートプレイとはちょっと異なる語り口で
物語の骨組みを組み上げて。
丸山敬之の観る側に耳を傾けさせる歌唱の力も
物語をしなやかに支えていく。
音楽のクオリティも担保されており、
昭和っぽい曲のメッセージ性が物語のニュアンスをしっかり繋いで。
また、このフォーマットの中で、
主宰のパフォーマンスもさらにしなやかに生きる。
見ていて表現が古風で新しく多彩なのですよ。
今風の愛情の描き方などにも、
べたさと洗練があり、
荒事とは少々違うのでしょうが
スリッパで頭を引っぱたくような誇張に始まって、
常磐津や浄瑠璃のごとく
うん十年前の流行り歌風の曲で物語を進めるのも
薬を飲んだ態のお芝居にしても、
一般的なストレートプレイでは描き得ない、
むしろ歌舞伎的な表現のスピリットや自由さが縫込まれていて。
別に役者が隈取をしているわけでも
見栄を切るわけでも、六方を踏むわけでもないのですが、
こういう表現の多彩さの端々には、
物語を処する伝統芸のノウハウが裏打ちされている気がして。
時間を忘れて見入ってしまいました。
*BoroBon (水下チーム)/「阿房列車」
・作 : 平田オリザ
・演出 : 水下きよし
名前だけは聞いたことがある戯曲だったのですが、
実際の上演を観たのはこれが初めて。
役者にゆだねる部分の多い一方で
いろんな仕掛けに満ちた戯曲だと思う。
舞台の空気にしても、夫婦の距離にしても、
間にしても、
観る側が前のめりになることなく
そのままに染められてしまう。
戯曲に仕組まれた緊張と弛緩と
役者たちが織り上げる舞台の密度が
絶妙にリンクして、
ちょっとした不条理や
記憶のあいまいさまでが、すっと実感に置き換わる。
冒頭のクイズや
アイスクリームを売る女性の歩く方向などが生み出すズレから
やわらかく足元が揺らぎ、
車内で過ごす時間がすぅっとぼやける。
3人の役者たちが醸し出すリズムは
鋭い切っ先を持っている感じはしないのですが、
残る・・・。
水下きよしと井上啓子の夫婦のペースが
微妙に異なっていて、
それを合わそうとしない貫きが、
味わいとなって実によい。
で、まったく別のリズムをもって舞台に現れる真砂尚子が
ふたりのペースをさらに際立たせて。
ちょっと不思議な感覚、
実をいうと、中盤あたりで
舞台の時間にとりこまれるような感じで
やわらかい睡魔が降りてくるような気配を感じたのですが
その一方で台詞のひとつずつは意識から消えずに
クリアに積もっていたりも。
なんだろ、ふっと舞台の空気の恣意な弛緩に引き入れられて
しまったのかもしれません。
*** *** ***
観終わって、二つの作品が
それぞれの印象を重ねあうこと合うことなく
でも、ひとつの公演として、互いをふくよかに映えさせて。
中篇ふたつが競うように観る側を魅了してくれました。
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