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青☆組「キツネの嫁入り」むかしむかしの立ち位置に置かれたもののリアリティ

2012年5月28日ソワレにて青☆組「キツネの嫁入り」を観ました。
会場はこまばアゴラ劇場。

秀逸な舞台美術のなかで紡ぎだされるむかしばなしの、
その顛末の向こうに垣間見えるものに
息を呑みました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください。特に、これからご覧になる予定のある方は、観終わってからお読みいただくことをお勧めいたします)

作・演出 : 吉田小夏

出演 : 荒井志郎 福寿奈央 林竜三 藤川修二 大西玲子 高橋智子 石松太一 田村元 東澤有香

冒頭、語る態での導入がとても効果的で、
観る側を一旦現実からすっと切り離してくれる。

次第に現れる物語も
まっすぐに観る側に伝わってきます。
むかしばなし的なシンプルさと、
奇異なことをもそのままに観る側に受け入れさせてしまう包容力と
どこか滑稽な感じも、ちょっと哀れな風情も、
恐ろしげな場面も、
むかしばなしの枠組みの中に収まると、
そのままに観る側が受け取ることができる。
所作やいろんな表現の豊かさもあり、
むかしばなしとしてのウィットやちょっとしたペーソスも
したたかに織り込まれていて。

役者たちそれぞれにむかしばなしを纏いつつ、
一方で舞台を平板にすることなく、
それぞれのロールの色をビビッドに作りだす豊かな技量があって。
だからこそ、物語は、単に筋書きをたどるにとどまらず、
その筋書きに繋がれた思いの重なりとして
観る側に組み上がっていく。
まるで、子供のごとく、
ノーガードで物語をそのままに追わせ、
浸り込ませる力が
舞台にはあるのです。

そうして観る側を引き入れておいた上で
作り手は、物語に漉きこんだ観る側の「今」を
少しずつ露わにしていきます。
むかしばなしでは割と定番の
立ち入ってはいけない場所があって・・・。
その中に、フォーカスを緩めて描かれるからこそ
あからさまに浮かび上がり今を俯瞰されるものが、
すっと姿を見せる。
その場所の「むかしむかし」にすっと観る側の「今」が重ね合わさり、
物語と観る側の過ごす今の間に
時間軸が鮮やかに現れ、
物語の事象に観る側の今日との因果が現れ、
むかしばなしの枠組への視野が
目を閉じることも、心を閉ざすこともできずに、
観る側の時間から眺める未来へと置き換わって・・・

一方で、キツネたちが絡み、人が人でありつづげることなく
やがて滅失していくような感覚、
それは、むかしばなしの態だからこその
やわらかで懐かしい肌触りとともに
観る側に深く沁み込んで。
やがて、今を生きることの
どこか底知れないおどろおどろしさを秘めた
リアリティが
物語に埋め込まれた、
その中でも変わることのない
人を想う気持ち、さらにはキツネたちに抱く
様々な普遍的な心の肌触りと共に降りてきて。

そこには観る側が、時に恣意的に気づくことをしない「今」があって、
でも、それは教条的に語られるのではなく
紡ぎ出される物語の顛末として観る側に置かれる。
すると、その渡され方だからこそ、
観る側のなかで強いられることなく広がる感覚が生まれて・・・。
作り手の芝居を供するものとしての
伝えることのセンスに舌を巻きました。

美術もその場所の内の世界の密度と
外の広がりを、
むかしばなしのファンタジーの色と共に
観る側に届けてくれていて、
実に秀逸。

作り手は、これまでに持っていた引き出しのいくつかから
さらなる新しい引き出しを創り出したように思えて。
従前のリーディング公演などで見せた
イメージや表現の間口や独特のテイストが
さらなる引き出しを生みだしていくことがとても豊かなことに思え、
今後の作品の広がりが本当に楽しみになりました。

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