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乞局「EXPO」色とりどりの短篇たちから浮かび上がる時代の肌触り

2012年5月18日ソワレにて乞局 奇譚集2012「EXPO」を観ました。

会場は水道橋に近い神保町スタジオイワト。一つずつの作品に作り手の新しい引き出しを感じつつ、
醸し出される世界の重なりから浮かび上がる時代のうねりにがっつり呑みこまれてしまいました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

脚本・演出 : 下西啓正

万国博を織り込んで、
戦後の高度経済成長期の終わりから
バブル崩壊のどん底までの時代を
5つの短編でつづっていく。
EXPOを入口とした作品が
個々の時代の肌触りで織りあげられ、
高い完成度を持って観る側に供されていきます。

’70、
出演:墨井鯨子


冒頭の作品は
時代の俯瞰を役者がしっかり背負って。
レゴで形作られたイメージなども編み込んで
作り手が観たことのないという世界を描き出していきます。
映像などの記録と想像絡めて組み上げられていく感触が
通り過ぎた者にとっては
滅失した記憶のなかにあるものとしてきっちりと重なって。
演じ手の描きだす力とともに膨らんだ時代の
恣意的な解像度の粗さと
だからこそ感じえるグルーブ感というか勢いのようなものに
やがてぐいぐいと持っていかれる。
それは、その時代の空気の「連なり」のしなやかな具象にも至って。

世界を一気に紡ぎあげる役者の表現の瞬発力や奥行きにも
強く捉えられました。

’75
出演:岩本えり 伊藤俊輔 石田潤一郎


佇みのなかにテンションをもった空気が舞台を満たし
夫婦の距離感というか、
意地の張り方にこめられた感触には、
その時代の風情のモダンさやシニカルな冷感があって、
そのなかにどこか垢ぬけない
ふたりの意固地さが編み上がり
時代の風景が浮かんでくる。
自由な関係のなかに
馴染みきれない不器用さのようなものも伝わってきて
時代の空気の醒め方と、
洗練されきらない時代の質感が染み入るようにやってくるのです。
人物たちの表層的な尖り方を
役者たちが絶妙な力加減で紡いでいく。
舞台の男女たちの関係性が
斜めからの切り口に崩れ去るのではなく、揺らぎの内に描きだされ、
その時代にまだ残るコンサバティブな男女の想いも
しっかりと浮かび上がって。
作品の味わいというか、
その時代の「モダンさ」を上質なウィットに変える作品の語り口に
秀逸さを感じ
深く浸潤されてしまいました。

’85
出演:田中のり子 三橋良平 浅井浩介 中島佳子

バブル前夜の設定である一方、
まだ男女の関係に懐かしいモラルの匂いが残っていて。
男女の中学生とその兄とさらには兄の家庭教師の若い女性。
なんだろ、それぞれから醸し出され、あるいは拒絶され、
もしくは受け入れられる劣情に
今ほど醒めていないせめぎ合いが織り込まれていて。
不器用な緊張感やモラルの崩れのなかにも
その時代から見える重石のない未来が
場の空気にしなやかに織り込まれていて。
万博のシンボルキャラの誕生の態に込められたウィットが
やがてやってくる時代の「ノリ」の気配の
したたかな描写になっているようにも思えて。
その時代の、渾然となって膨らんでいく
どこか成熟しないスノッブでチープな高揚感のようなものが
物語自体の空気にしっかり織り込まれておりました。
役者たちが描きだす個性の
デフォルメの精度にも感心。
男たちの「やりたい感」にも年齢ごとの色の違いがクッキリ作りこまれ
中学生や家庭教師の雰囲気にも、
観る側があざとさとビビッドさのエッジで遊べるような
絶妙なさじ加減があり、その表現の安定にも舌を巻きました。

’88
出演:石田潤一郎 中島佳子 墨井鯨子 岩本えり 田中のり子

バブルの世相をそのままに。
いかにもという男女と
当時の会社の雰囲気を剽窃しあるいは背負うコンパニオンたちの姿。
作り手はその時代の根なし草のような高揚と
人も社会も踊る姿をラフで細緻な空気のなかに
浮かび上がらせていきます。
熱に浮かされ箍が外れ矜持など溶けてしまったような
その雰囲気の滑稽さを剥ぎ出す舞台上にも目を瞠るのですが、
観る側が過ごす現代の影の源が鮮やかに重ね合わされて、
凄味のようなものすら感じさせる。
役者たちの編みあげるどうしようもなさへの解像度が
軽さや愚かさをクリアに浮かび上がらせ、
そのまま質量を纏って今に刃を突き付けていきます。
ひと時の宴のような時代の滑稽さを、
鉛のような重さをもったブラックユーモアに置き換えて
観る側にその時代をしっかりと刻んで見せました。

’96
出演:浅井浩介 三橋良平 伊藤俊輔 墨井鯨子

今につながる
バブル後のどん底の時期の雰囲気が、
物語から滲んでくる。
でも、暗いという雰囲気でもなく、
派手さはなどはないけれども、
バブルの雰囲気の浮き足立った感じからは解き放たれ、
サブカル的な雰囲気のとほほ感も
ちょっと無骨な男女の出会いにも
暗さや辛さや脆さだけではない、
この時代の色とともにある
ある種の諦観のなかで生きる質感や
その色に根づいた感じや、
不思議な慰安も生まれていて。
EXPOを知らない世代が醸しだす空気感のなかに、
ひとつの新しい時代の冒頭を感じさせる萌芽のようなものを感じる。
役者たちの作りだすヲタ感も、表層のテイストだけではなく
台詞が描きだす心情ときっちり織り上がっていて。
その世界と今の時代の色との繋がりも感じることができました。

これまでの作り手の作品から導かれていた
拒絶を踏み越えて深く惹かれてしまうようなテイストの
作品ではなかったのですが
でも作風が変わったという印象はあまりなく
作り手の引き出しが豊かに増えた印象。
役者達にも、そのバリエーションを背負うに十分な力量があって、
作品ごとの異なる語り口から、
時代自体やその変化の肌触りがしなやかに編みだされ
そのなかに置かれ、移ろい、染まる人々の
軽質さや、幼さや、おろかさや、図太さや、したたかさが、
霧散することなくしっかりと観る側に伝わってくる。

描かれる時代たちの実際の雰囲気を知っている世代なので
短編ごとの空気からやってくる肌触りの
リアリティにも驚かされるのですが、
作品からやってくるものはそこにとどまらない。
人々の姿から垣間見える
時代ごとへの従属感のようなものに、
作品を超えた普遍があって
作品それぞれの面白さに加えて
作り手の異なる色からさらに醸しだす
人間のコアの匂いのようなものにも掴まれてしまいました。

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