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劇団appleApple「Fried Strawberry Short Cake」心の風景の立体的なデッサン

2012年5月24日ソワレにて劇団appleApple「Fried Strawberry Short Cake」を観ました。
会場は下北沢楽園。

後半、冒頭からは想像もしなかった、心の風景の現れ方があって、
強く捉われました。

(ここからネタばれがあります。十分ご留意ください。)

作・演出 永妻優一

出演 :恩田和恵 千野裕子 吉岡祐介 蒔田陽一 金子麻里也 瀬尾涼子 青木幸穂 石田拓郎 本多巧

しなやかな物語への入り口・・・。
語る態で
冒頭からさまざまに切り取られる時間、
それは記録のように思えたり、
記憶の質感であったり・・・。
その両方であったり。

場に織り上げられるエピソードも
断片的な印象としてみる側に置かれて。
舞台空間が具象するものが現れるまでの前半は、
どこか雑然としてはいるのですが、
そのなかでも重ねられるイメージがルーズにならず
リズムや切っ先をもって演じられて、
観る側に、少女っぽい装飾のその場の位置づけを
見失うことなく追わせてくれて。

やがて、場が膨らみ、
観る側に空気が解けて、
舞台上に時間軸があらわになって。
さらにはその中に置かれたキャラクターたちにも
具象するものがしっかりと形をとって。
場全体のシチュエーションが露わになり、
役者達がルーズにくみ上げていた空気が
刹那の想いに形を変え始める。

いままで、どこか薄っぺらくさえ思えていた
脳内のキャラクターたちが、
その薄っぺらさだからこその、
質量をなくしたような軽質な肌触りを
紡ぎだしていきます。
気がつけば、
空間は内心の有様に姿を変えて、
去来し漂う意識と無意識の端境のような想いが
その場を満たしていくのです。

劇場の形状を生かし、
前面を彼女の瞳孔に模して
渋谷の風景、マグドナルド、通りの景色などを
言葉に織り上げる。
彼女が見るもの、浮かび上がる記憶、
意外な形で湧き上がる死の衝動の質感があって、
そこに理に表せない生き続けようという想いが交差して。
キャラクターたちの作り出すカオスが
その重なりの先に別な色を紡ぎ
内心のざわめきのような想いへと変貌し、
観る側をその成り行きの先へとのめりこませていく。

終盤に、狂言回しの姿が明らかになって、
ちょっと考えおちのように原点の姿が暗示され、
別腹のように
命の醒めた質感までが導き加えられて・・。
気がつけば、観る側は
透き通ったひとときの揺らぎに
強く心を奪われていて。

観終わって、物語を受け取ったというよりは、
少女の、無意識のなかに去来するような
細微な心風景の移いの肌触りが残る。
役者達のお芝居にも
単なる調和に陥らないしっかりとした色の貫きがあって、
いくつもの刹那のイメージが、
沈殿させることなく、ざらつきや濃淡をそのままに、
ひとつの空間の質感に撚りあげられて。

作り手の、想いの切り取り方と
そのデッサン力に舌を巻く。
残った感触のリアリティに
癖になるような独特のテイストがあって、
強く心を惹かれたことでした。

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