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ナカゴー「嵐が丘」秀逸なジャズセッションのようなグルーブ感

2012年4月21日ソワレにて、ナカゴー特別劇場VOL.6「嵐が丘」を観ました。

会場は田原町のあさくさ劇亭。
ちょっと時間があったので、浅草寺にお参りして、人形焼きなどを買って・・・。

上演時間的にはサクっと観れる感じでしたが、
コンテンツには観る側をひきづりこむようなボリューム感があって。
また、作り手の新境地を観たような感じもして・・・。

お腹一杯に楽しむことができました。

ここからネタばれがあります。十分ご留意ください)

作 : 鎌田順也

出演 : 篠原正明 鈴木潤子 高畑遊 
(以上、ナカゴー)

川崎麻里子 川面千晶 菊池明明(ナイロン100℃) 森桃子 村上佳久

冒頭のシーンなども
じわっと可笑しいのですが、
そのへたうま感のなかに、
伏線などもしらっと張られていて、
観客に物語の構成がゆるっと焼き付けられて。

で、導かれた誕生パーティのシーンがともかくも圧巻、
冒頭からのシーンの繋がりで
登場人物がしたたかに場に集められてからの
展開がものすごいことになっていく。

娘とその一学年上の来訪者の誕生日会という設定が
大人たちの宴会の態に変わっていく。
その酩酊していく表現の重なりが出色の出来。
父母や来訪者の兄、
さらには娘の担任の先生の酔っ払っていく雰囲気が
ジャズのソロを繋いでいくような感じに作られていて、
場が次第に揺らぎと熱を持ち始め
腰に根が生えた宴席の趣に変わっていく。
適度に互いが絡み合う中、
そのソリストのひとりずつに
すっと目を惹くような踏み出しから
ここ一番の突き抜けに至る場が供されて
本音トークのグルーブ感が醸し出されていく。
上手側でひたすらトランプを続ける同級生が
場のベーストーンとなり、
大人たちの話の相手を強いられている女の子の
場のリズムを何気に守るリズムキープも
場をさらに膨らませて・・・。

ノイズいっぱいの雰囲気のなかで語られる
父親の説教にしても、色がしっかり醸されて
かなり自分中心の価値観が芯まで織り込まれているのが伝わってくるし、
来訪者の兄の年相応の突っ張り方にしても、
薄っぺらさと若輩ゆえの場違い感がくっきりと作りこまれていて。
母親の本音トークには、次第に素が解けていく感じに、
女性の表裏の質感がしなやかに現れていて・・・。
さらには背負ったロールのエンジンがかかってからの
役者が見せる演技の踏み出しの鋭さ、
事前アクションなしで場を丸ごと引きづり込むような力にも目を瞠る。
お芝居の奥行きというか役者の表現するものの膨らみ方や
切っ先がほんと半端ではなくて。
先生の本心の露出にしても、そのお芝居に
ためと腰がしっかりと据わっていて、
うぶな部分の告白から、
立ち上がってさらに箍を外そうとするまでの刹那ががっつりとつみあがっていく。
シーン終盤の酔い方のパワーをもった実存感など
場をなぎ倒すほどにおかしい。
一人ずつを見ると
トランプの女学生までも含めて、
それぞれがラフさのない実に精緻なお芝居なわけですよ。
にも関わらず、
場のメートルがぐいぐいと上がっていくような
空気の運び方は
べたな表現ですが、かなり凄い。

これだけ場が熱を持つと
終盤のけれんもまったくへたれない。
それどころか、観る側をさらに運んでくれないと
場の収まりがつかないような感じすらなっていて。

観終わって、ここまでにぶれなく突き抜ける
作り手の手腕やセンスにぞくっとなる。
従前の作品たちと比べても、
劇団や作り手の更なる進化を感じたりもして。

劇場を出た瞬間に駅の方向も見失っていたり
(役者の方に親切に教えていただく)
歩きながら、意外に肌寒かったりもしたのですが、
そんなことがまったく気にならない帰り道・・・。

本当に面白かったです。

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