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空想組曲「深海のカンパネルラ」物語を足場にして物語に至る

2012年4月15日ソワレにて空想組曲VOL.8「深海のカンパネルラ」を観ました。
会場は赤坂RED THEATER。

前半を飽くことなく観続け、後半に訪れる世界に深く心を揺すぶられました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください。)

作・演出 : ほさかよう

出演 :多田直人(演劇集団キャラメルボックス) 篤海  古川悦史 川田希 二瓶拓也(花組芝居) 石黒圭一郎(ゲキバカ)  小玉久仁子(ホチキス) 牛水里美(黒色綺譚カナリア派) 渡邊とかげ(クロムモリブデン) 
鶴町憲  内山正則 上田理絵 
中田顕史郎

上演時間が130分とすこし長めの作品、
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」から導かれたその前半は
主人公が組み上げるストーリーの
執拗なスクラップ&ビルドの表現に
費やされていきます。

少しずつ外側の枠組みを組み込み、
時には現実の断片を刺し入れながら
主人公の心に浮かぶシーンたちを具象していく。
「銀河鉄道の夜」を土台として、
自然に、あるいは逃げ込むように浮かび、
道を外れ、広がり、ビターに染まり、行き詰まり、
トイレのフラッシュ音とともに崩されてしまう内心の物語たち。
サザンクロスにまでまっすぐに至ることない
寄り道や逸脱に満ちた物語に
様々な風景が交錯して・・・。
原作に忠実に踏み出しても、
そこから箍が外れて戯画的に広がる世界、
耽美に、または暴力的に描かれ、重なり、
行き詰まり、崩れていく・・・。

役者たちが、
世界を塗りこめてしまうことなくしなやかに、
シーンやキャラクターたちの実存感やトーンの濃淡で
空気の質感をコントロールし
心風景のテイストを生みだしていきます。
そこには観る側が受けとる寓意の
平易さと深さのしたたかな組み上がりがあって、
絶妙に変化しながら何度も重ねられていく物語の顛末を
飽くことなく追い続けてしまう。
そうして形作られたボリューム感があるからこそ
執拗な組み上げと崩壊自体に
コンテンツたちにとどまらないニュアンスが生まれて、
やがては、物語で覆い隠していた彼の内心の枠組みが次第に現れ
観る側にさらに向こう側にある現実が
さらけ出されて・・・。

引きこもる彼の姿と
そこから彼を引き出そうとする姉や周囲の姿、
痛みと苛立ちが観る側にまで浸み入ってきたその先に
視座が逆転して現れたエピソードの
なんてナチュラルなこと・・・。
知らず知らずにテンションを緩めてそのシーンを眺めているうちに
天空と深海の寓意は魔法のようにそのチケットに集約されて、
チケットを巡る場のシンプルな誤解が
それまでのシーンたちから受け取ったものと共振し始めて・・・。
思いもかけず、
身構えることもできずに、涙が溢れてきました。

冒頭に物語の土台として語られる、
「銀河鉄道の夜」が
再び語られる時、
それは主人公が、さらには人が生きることの
普遍への俯瞰となって・・・。
そのなかで前半のシーンもさらに解け、
役者たちの献身的な演技が
その景色のなかに具象するものにも
改めて思い当たって・・・。

作り手が描きだす世界と
昔々読んだ「銀河鉄道の夜」の(ちょっと曖昧な)記憶に
凛とした空気と、そのなかに歩む感覚と、
重ねられていく刹那の広がりが重なって
初日・ダブルコールの終演後
劇場を離れても、、
さらに広がり心満たされていく感触がいくつも巡り降りてくる・・。
刹那には気づかなかったものが
さらにいくつも音をあげたような気がして・・。

今回は一度の観劇しかできないのですが、
きっと、いつかふたたび観たくなるような舞台でもあって・・・。
時をおいて、是非に再演してほしいと思う。

心のとても深い部分を
しなやかに捉えられた感触が残る舞台でありました。

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