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モモンガ・コンプレックス「ご多分にもれず、ふつう。」すてきに多層的な人間臭さ

2012年3月17日ソワレにて、モモンガ・コンプレック「ご多分にもれず、ふつう。」を観ました。
会場は横浜STスポット。

開演まで当日パンフレットを読みながら過ごす。
でも、何度も観たことのある役者さんなども加わった「舞台美術」の男子達が、
まさか、こんな質感で舞台に関わっていくとはおもってもみませんでした。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

構成・演出・振付:白神ももこ

出演:北川 結 臼井梨恵 木村愛子
舞台美術の方々:阿部典之 内海正考 小野正彦 木下毅人 重岡 漠(青年団) 中本章太 細川浩伸(急な坂アトリエ) 濱崎賢二(舞台美術研究工房 六尺堂)

STスポットの素舞台、
冒頭で3人のダンサー達のパフォーマンスの描き出すものには
まがいものではない切れと
圧倒的な豊かさがあって・・・。
コンテンポラリーダンスのメソッドとともにやってくる
作り手独特のウイットと広がりのある表現に
まずは目を奪われる。

で、舞台美術の皆様も、
それなりにオブジェっぽく形を作っていく。
最初は当日パンフレットのクレジットどおり、
体を使った舞台美術くらいの気持ちで眺めている。

でも、そのオブジェたちが
ダンサーたちの動きに対して
だんだん無機質に見えなくなってくるのです。
冒頭に観る側の頭に置かれた、
美術であるという前提を乗り越えて
眼前に広がる個性のようなものが
次第に沁み出し観る側に流れこんでくる・・・。

ダンサーたちの編みあげるイメージが
舞台を満たせば満たすほど
舞台美術諸氏から引き出されてくるものがある。
それが、ダンサーの動きとして定義されていないことで
観る側には多層的な印象が現れる・・・。
こう、上手く表現できないのですが、
ダンサーたちと舞台美術の
それぞれが相乗効果となって、
互いが互いをさらに浮かびあがらせるのです。
舞台美術と称するものが
観る側の視野を遮ることも、
ダンサーたちの動線を阻害することも
あるいはひとつのニュアンスにマージしていくことも
これまでに観たことのないような
豊かさを引き出していく。

気が付けば、
作り手がしたたかに差し込む
舞台美術たちの舞台の外側での素の質感にも導かれて、
観る側の視野は
舞台の編み上げられたイメージの
もう一歩外側にまで広げられていて。
ダンサー達の動きと同じくらいに・・・、
いや、それ以上に舞台美術の皆様の
それぞれの個性が観る側に入り込んでくる。

これ、おもしろい・・・。

ダンサー達の表現のクオリティが際立っているからこそ、
見えてくるものだとは思うのです。
でも、同時に舞台美術の皆様それぞれの
素材を引き出す力が
仕組みに内包されていて、
彼ら一人ずつの個性が素敵に目に入ってくる。
終わってみれば
むしろ、ダンサー達が彼女たちが表現するものを
時には逆転して
オブジェであるべき
舞台美術の皆様の印象の方が強く鮮やかに残ってしまうほど・・・。
それらを見栄えにして、
ニュアンスの塊に仕立て上げる
作り手の慧眼と構成力の秀逸さに舌を巻く。

ほんと、幾重にも惹かれるものを持ったパフォーマンスだったし、、
この作り手だからこその、
さらなる広がりの可能性を持ったメソッドのお披露目のようにも
感じたことでした。

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