タカハ劇団企画公演「ブスサーカス」空間に満ちるものを追い、満ちるものに追い込まれる
2012年2月21日ソワレにてタカハ劇団企画公演「ブスサーカス」を観ました。
会場は渋谷ギャラリーLe Deco 5F。
作劇のしたたかさと、物語を空気の緩急に変えていく役者達のお芝居にどっぷりと浸されてしまいました。
(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください。)
作・演出 : 高羽彩
会場に入ると古びたマージャン台がおかれていて。
それを眺めるともなく眺めていると
場にただよう
手垢のついたような場末感に
すこしずつ浸されていく。
で、開演すると
今度は外気の凍えた質感がやってきて、
場の空気のメリハリに変わる。
やがてすこしずつ場の事情がほどけて見える感じに
さらに引き込まれていきます。
男を待つという5人の女性と、その世話係の女性。
5人の女性たちは男の教唆で人を殺してきたらしい。
役者達のキャラクターの作り方や
出し方がそれぞれにうまいのですよ。
ロールたちの異なる温度が
ぶれることなく場におかれて
閉塞感とともに全体の空気の肌触りになる。
それは、時にユーモラスであったり、高揚したり、
沈みこんだりもするのですが
場の事情がわかってくるとともに、
中に置かれたキャラクターたちの個々いろいろが
観る側に強い個性として置かれていくのです。
マージャンパイや携帯電話などの道具の組み込み方も上手いなぁとおもう。
やがて、中盤になると、ふっと押し出されるように
何かが歯止めを失い
その閉塞の絶対感がすっとはずれて
それぞれから溢れだしてくるものに
観る側までが巻き込まれていく。
犯人探しというか魔女裁判的な仕掛けから
滲みだしてくるそれぞれの過去、
表面張力いっぱいのところに一滴たらされて、
支え切れなくなる感じ。
それも一気に崩れるのではなく、
緊張と弛緩が振り子のように訪れ、
常に戻るベクトルとそこでは収まらない想いが交差し、
再び一線を踏み越えてしまうなかで、
キャラクターたちの抱えるものが
滲みだし、重なり、場から捌けていく。
その先に、ブスというか
なにかの歪みを抱え、平衡があやしい姿となり、さらには飢え、
あるいは固まった女性たちの感覚や想いの姿が
にび色の、でも密度をもった感覚で浮かび上がり、
抑制を失い、突き抜けて、互いに切っ先を向け合い、
観る側へと解き放たれていくのです。
役者のこと、
青木岳美のお芝居からは良い意味での齢の持つ線の太さが描かれていて。そのなかに女性としての達観した部分と達観しえない部分を上手く織り上げる表現がとても秀逸。
異儀田夏葉は女性のしたたかな部分と不器用な部分を表層から細かく作り演じていきます。荒さや重さをもった印象を作る一方で内心ををとても緻密に具象する演技のうまさもあって。醸し出す雰囲気にもボリューム感があって場のテンションを強固にしていきます。
内山奈々はどこか神経質で繊細なキャラクターに潜む熱や御しえない想いを、細線まで描きこむ演技の肌理としなやかさで観る側に焼き付けていく。突発的に溢れだす物の鋭利さに驚嘆。しかも硬質な部分と柔らかい部分の編み上げに無理がないというか、すっと入って後に残るようなお芝居の質感もあって強く惹かれる。
高野ゆらこは女性のあからさまな想いにしても隠された内心にしても、心情を表現するときの色合いの立ち上がりがとても鋭く、かつしなやか。また、場を染め、浮かせ、あるいは沈めるためのテンションをしたたかにコントロールする感性も持ち合わせているように思えて。上手く言えないのですが、役者としての空気に対する刺さり方の上手さに目を瞠る。
二宮未来には想いをすっと身体にのせ雰囲気に変える才があって、その他のキャラクターに染まらないというか差異を見せる描きかたで、場の空気に別の色を創り出していく。観る側にすっと入りこんでくる演技の質感にもとても惹かれました。
高羽彩はロールの役割というか、他のキャラクターとの距離感をうまく作りつつ、物語のフレームを開示していく部分に抜群の安定感があって。この人が前半に織り上げた物語のベースの確かさが観る側を凌駕するほどの後半の作品の伸びにつながっていたように思う。
登場人物それぞれの抱えるものを
べたにすることなく
コアのさらに内側の姿までも含めた生々しさとして演じ上げた
役者たちの力量にすっかりやられる一方で
作り手の、想いたちを描き出すしたたかさと
物語ることへ手腕にも
強く捉われたことでした。
しかも、私が観た回には
初日の硬さというわけでもないのでしょうが、
もっと深く組み上げる余白もほんの少しだけ感じて。
公演の後半には、どのようになっていくのか
空恐ろしく思えた(褒め言葉)ことでした。
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