クロムモリブデン「節電ボーダートルネード」緻密な心風景の描写の先
2012年12月23日ソワレにて、クロムモリブデン「節電ボーダートルネード」を観ました。
会場は赤坂レッドシアター。
この劇団の、表現の洗練と描き上げる力量に強く心を奪われました。
(ここからねたばれがあります。十分にご留意ください)
脚本・演出:青木秀樹
出演:森下亮・金沢涼恵・板倉チヒロ・奥田ワレタ・久保貫太郎・渡邉とかげ・幸田尚子・小林義典・武子太郎・花戸祐介, 七味まゆ味(柿喰う客)
すこし重い感じの冒頭のシーン、
なにかがすれ違った感じがあって、
その感覚が残ったまま、
あるがごとくに受け取る。
そしてダンス、意味があるようでないような
不思議な身体表現・・・、
最初はただその動きに目を奪われているだけ・・・。
次のシーンが重なる・・。
一つずつの事象がそのまま物語として膨らんでいくわけではない。
でも、場の空気には同じトーンがあって、
繋がりや因果などはわからないけれど、
唐突さを感じることもなく
こちらもしかるべく受け入れる。
始まってからしばらくの間は
そうしてシーンが積もっていくだけ・・・。
でも、少しずつ世界が解け
物語が竜巻や刑務所と、
広がっていくうちに、
観る側も単純に物語を求めるというよりは
ルーズであっても断ち切れることなくエピソードが紡がれていく
その流れというか風景に捉われていく。
冒頭の無関心さも
その裏に現れてくるものも
ダンスの軽さやポップさも
竜巻も牢獄も病院も、
そして創作という薬も・・・、
ダンスにニュアンスが取り込まれ
感覚に置き換わって
次第に作り手の心風景のように観る側に広がっていくのです。
舞台の進展の中で
それらは心の移ろいの一つずつの感覚の連鎖として置かれていく。
人物たちのキャラクターにしても
斧のギターや鯰を模した小道具などにしても、
観る側にとっては抽象的な印象があるのですが、
舞台にはそれらを取り込み
あるがごとくそこにはめ込む間口があって・・・。
どこの舞台でも光ものになりうるような役者たちの演技が
強くしなやかに磨きあげられていて
その刹那の表現のテンションを支えていく。
観る側に伝わってくるものが揺るがないし曇りがない。
笑いをとる部分にもぞくっとするような切れがあるし
いくつものシーンに目を見開くようなミザンスが立ちあがって
観る側を圧倒する。
舞台は、
時に高揚し、あるいは抑制され
制御をハズレ、時には暴れ出し
やがて内心は彷徨する内心から抜け出して
現実の時間へと至るのです。
後半から終盤にかけて、
妄想の縛めから解放されて日々の現実に飛びだす表現には
強いグルーブ感がありました。
妄想の世界から
よく現実まで世界をつなげ、世界を流しきったと思う・・・
そして最後のシーン、
繰り返されるあのダンス・・・
膝の動き目を奪われ、さらに重心が前に移り
観る側が前のめりになる刹那に
光が落ちる。
その瞬間、ダンスのニュアンスと
舞台の妄想と現実のループの永続性がすっと浮かび上がって・・・、
23日も観終わった時には
その雰囲気に完全に捉われていたのですが
大楽の役者たちの演技はその時と比べてもさらに
さらに熱伝導率がよくなっているような印象があって
その分観ていて高揚感も強かった。
23日はB列だったので
兎に角、役者の表情が導くそれぞれの世界に圧倒されたのですが
30日の大楽はH列で舞台全体の俯瞰のような印象で観ることができて
23日の印象と重なりあったこともあるのでしょうけれど、
さらに惹きこまれ感が強くなったようにも思えました。
そもそも、
この作品、きっと、何度観ても飽きなかったような気がする。
観れば観るだけ、世界が深まったのではとも思う。
せめて、もう一度くらいは観たかった。
作り手が抱いた創意について、
本当のところは知る由はないのですが、
観る側からすると、
心風景の緻密な描写願望だったようにも思えて。
そして、それらを色鮮やかに観る側に流し込む
役者たちの技量、さらには照明や音響、舞台美術の秀逸があって
描かれたものが観る側にやってくると
更なるふくらみへと変わり、
コントロールしえないような取り込まれ感が
やってくる・・・。
終わってみれば単に軽重や色合いだけではない
軽躁から軽鬱のあいだを行き来する中庸な想いの風景のスケッチを
ぞくっとくるような解像度と
POPさ、
さらには洒脱さが生み出す更なる高揚とともに
受け取っていた。
そんな感じがしました。
そして、どこかビターでありながら
醒めて濁りがなくしかも温度を持った感覚の生々しさが
劇場を後にした後もずっと抜けずに残り、
高揚が冷めるのには、
思った以上に時間がかかったりもして。
それほどまでに、
深く観る側を巻き込む力を持った作品でありました。
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