世田谷シルク「渡り鳥の信号待ち」シアタートラムの広さを武器にして
2012年1月18日ソワレにて、世田谷シルク「渡り鳥の信号待ち」を観ました。
初演はサンモールスタジオで今回は再演。
2010年9月の初演から脚本もかなり改訂されていましたが、
なによりも、劇場(特に舞台)の広さがまったくちがっていて・・・。
そのことが、作り手にとってのあたらしい武器となり
創作の翼が一層大きく広がった舞台となりました。
(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)
脚本・演出・出演:堀川炎
出演:えみりーゆうな 下山マリナ 守美樹
朝倉薫 荒木秀智 稲森みき 岩田裕耳 帯金ゆかり こいけけいこ 佐々木なふみ 田中正伸 高木健
日澤雄介 松山樹香
青木佑希子 大日向裕実 小林真梨恵 清水佑香子 武井希未 寺西麻利子 とまべちゆうこ 宮﨑優里
山崎穂波
普通に使っても広いシアタートラムの舞台、
その広さに苦しむ劇団もある中で
D列を客席の最前列とする仕様にさらに広げられて。
この作品では、その広さが舞台に圧倒的な流れと奥行きを創り出していきます。
正直なところ、
作品としてさらに洗練されていく余白はあると思うのです。
たとえば、
前半部分での椅子の並べ替え(舞台上のレイアウト変更)などが、
舞台上の流れに乗り切れずに
段取りっぽくなって視野に残ってしまったり、
シーンの切り替え時の光がなんとなくばらついたり・・・。
メッセージの文字が見えにくかったり・・・。
初日ということもあったのでしょうが、
さらなる緻密さが求められる部分が散見したのは事実。
とはいうものの、それを差し引いても、
作品に力を満たすだけの
役者達の動きが舞台上にあって
シーンが栄え、物語を巻き込み、
観る側を引き入れていきます。
ダイナミックな動きをクリアしつつ、
場面のニュアンスを醸し出せる秀逸な役者たちが
最初は実直に、刹那の雰囲気や感覚を編み上げ、
シーンの重ねて
普遍を見晴らせる場所にまで観る側を導いていく。
その過程というか
列車が具象するものが次第に伝わってくるなかで
一人の生きる座標から時間軸が拡張されて。
役者達が描き出す加速と減速のなかに折り込まれた
人の一生の感覚、
さらには、淡々と、ビビッドに、
底知れないほどに奥深く、
でも、とてもクリアに
人の過去や未来、
さらにはその中での生きる感覚やつながりまでが描き出され、
観る側をその肌触りで包み込んでいく。
この舞台だからこそ映えるウォーキングの美しさ、
伸びやかでしかもエッジを持った動きが表す時空の流れや広がり、
さらには静止から満ちてくるニュアンス。
それらのシーンに次第にくみ上げられる物語の断片たち。
動きが重なるなかで、
観る側には時間や記憶の連なり、
さらには「生」の重さや軽さ、時間軸のなかでの浮遊感までもが
次第に、
宇宙の決まりごとにとりこまれ編みあがっていく。
まあ、目を惹かれるシーンの多い舞台で・・・。
映像やウォーキングのスキルにも目を瞠ったのですが、
なかでも一番ぞくっときたのは
列車が姿を現すシーン。
クールに描かれる普遍と
生きていく日常の刹那、
列車が現出するときの
どこか華やかで薄っぺらい高揚感。
さらには少々キッチュな感覚が編みこまれた
そのテイストの秀逸さに唸る。
舞台をいっぱいに使っての圧倒的な動き、
ブルーの衣装のCAたち、
表現のひとつずつに取り込まれる。
演劇的なアプローチでの表現にも、
場に負けない役者達の確かさが随所にあって・・・。
色がすっと伝える演技の切れが、
身体の表現たちと場の空気を乖離させずにつないでいく。
冷徹な視座を失うことなく
描かれる概念の中に
生きる質感や温度を差し入れるしなやかな技量が
瑞々しさと形骸化したものを混在させながら
くみ上げられループする時間のイメージに
したたかに具体性やディテールを与える。
終演時には、
その世界というか宇宙での
生きる質量の実存感とはかなさに
したたかに捉えられておりました。
初演との比較では、物理的なことにとどまらず
作り手の作意自体も若干変わっている感じもして。
うまくいえないのですが、
生死の普遍が、より冷徹さを持って描かれているように思えた。
まあ、その中でも
作品に込められた生きる有り様の質量
舞台上の身体の動きのグルーブ感、
それらが編みあがり舞台に生まれた流れと広がり・・・。
終演時の拍手をするなかでも
作り手が役者達の演技とともにしなやかに描きあげたイメージが
霧散せずに残ることは初演と同じ。
初演時同様に、終演後も
作品の世界から、
しばらく抜け出すことができませんでした。
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