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アトリエ・センターフォワード「ドーナツの穴」今、観るべき舞台

1月8日マチネにてアトリエ・センターフォワード、「ドーナツの穴」を観ました。

会場は西武池袋線 椎名町から歩いて6~7分のシアター風姿花伝。

今を俯瞰させうる視座が作品にあって、強く心を奪われました。醸し出される世界に普遍性を見出しつつも、今、観る作品であると感じました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

作・演出 : 矢内文章

この劇場、初めて。
場所が少々わかりにくいといえばわかりにくいのですが、
客席に高さがあってとても見やすい。
観る側が、舞台上の空気をそのままに感じることのできる空間でした。

さて、お芝居はといえば、
日本とは異なった時間が流れる
とある国で活動する女医の今と
彼女の祖母の物語、
手紙から二つの時代が撚り合わされて
舞台上に紡がれていきます。
停電が頻発する、
決して経済的に豊かとはいえない国での
緩やかな時間のなかでの女医の苛立ち。
彼女は次第に祖母からの手紙の世界に取り込まれていく。

テーブルで表現されるものがぞくっとくるほどに秀逸。
中央のテーブルが崩されると
そこは瓦礫となって廃墟の風景を導き出す。
戦後、子供を授かり娼婦となった若かりし頃の祖母、
その同輩の娼婦とひもたち・・・。、
ひりひりした日々の緊張感と閉塞感の中で
時代は少しずつ歩み始めて・・・。
そのなかで、彼女の広島での体験、
麻薬に依存していく同輩の姿、
さらには時代を掠め取っていく小役人などが
復興の歩みの狭間の空の世界を織りなしていきます。
しかも、そのテーブルは
場のミザンスを作るにとどまらず
女医の心情の具象としてもしたたかな力があって。
崩されてもなんとか積み戻されて
再びテーブルの態に戻されて。
そのまわりで、
さらに女医の世界が描かれていく。
文化の違い、彼女の立ち位置
現地人のクレジットカードのこと。
さらには、震災や原発を思う気持ちまでも・・・。

したたかな台本だと思うのです。
役人を巻き込んで何とか生きていこうとする終戦後の男女たち、
その役人の立ち位置や心情・
登場人物達があがき、歩み出し、生きていく姿、
さらにそこから女医の歩むベクトルが生まれていくこと・・・。
よしんばそれが、どこか数奇であったり意外な結末であっても
まやかしを感じることのない必然があって。

そして、その中で、言葉では表現しようのない、
「ドーナツの穴」の姿がしなやかに浮かび上がる。


役者たちもキャラクターをしなやかに舞台に組み込んでいく。
勝平ともこの演技には、キャラクターの内心の混沌を
塗りこめずに伝える力があって。
奥行きがしなやかに見えるお芝居というか、
心の移ろいをラストシーンまで運びきる安定した力を感じる。
柳下季里からはその地に暮らす女性の感覚が伝わってくる。
佐藤晴彦上田和弘の演技にも
その場にあるはみ出し感がナチュラルなトーンとともに
編み込まれていました。
また、堀口和也の演技には、
異なる価値観を抱いていることへの違和感が
したたかに表現されていて。

斎藤ナツ子には、観る側を染めその想いに浸しこむだけの
キャラクターの作りこみと浸潤力がありました。
中間色的な心情の揺れや
コアの部分の強さが微細に伝わってくるお芝居。
これまでに見た彼女の演技とは
また異なる引き出しでの演技の秀逸を感じるj。
勝島乙江もキャラクターの自然体の心情を
表層の強さと絶妙な配分で舞台に織り込んでいく。
娼婦(パンパン)役の二人とも、
醸し出す美しさに説得力があり、
それ故に、彼女たちから浮かんでくる時代の背景が
よりくっきりと観る側を捉えていくような部分もあって。
一方で彼女たちのひも的な男たちを演じた
眞藤ヒロシ小田伸泰も好演。
ずるさや男気の作り方が
どこかステレオタイプであるにも関わらず
それが物語に乗ると、
不思議な実存感をもった肌触りに変わっていく。
役人を演じた矢内文章
ヒール的な雰囲気のなかに
醒めた視点を抱くに足りるクレバーさがしたたかに編み込まれていて、
物語のコアにある感覚を支え切ったお芝居だったように思います。

広島でピカどんにあった娼婦が歩み繋ぎ、
故郷の原発事故のことに想いを馳せる女医が
そのことを知り新たに歩み始める先を選択する姿に
閉塞や行き場のなさに身を置いた時代を生きることへの
愚直で切っ先をもった有り様を感じる。
舞台から
時代が変革していくダイナミズムや、
明確な理想やビジョンや
そこへ向かう意志の輝きに染められるわけではない。
でも、役者たちが密度をもって紡ぎ出す
登場人物の感覚や想いには
にび色の貫きを持ったリアリティがあって、
今の自分の、あるいは自分を取り巻くものの、
さらには世界の立ち姿をしたたかに感じ取ることができる。


この舞台、
物語として観る側をそらさない解け方に魅入られ
時代を超えた普遍性を感じる一方で、
震災や原発の衝撃から
この国がよろめきながらも再び歩みを進めようとする、
その姿を映し出す鏡のような存在感があって。
今でなければ生きないお芝居では決してないのですが、
一方でまさに今観るべき
秀逸な公演だとも思うのです。

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