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日本の問題 チームA・チームB 今の日本がベーストーンとして機能する短篇集

2011年11月27日マチネとソワレで日本の問題のAB両チームを観ました。
会場は中野ポケット。

会場にはいるとシンプルだけれどインパクトを感じさせる舞台があって・・・。
それらが、各チーム4団体それぞれの作品がしたたかに取り込まれていく。

それぞれに、今の小劇場界での実績を持った団体、
著しい作風のダブりやテーマの偏りを感じることなく、
しかも、それぞれに「日本の問題」という
ベーストーンのようなものがしなやかに織り込まれていて・・・。
観ていて、作り手の個性をしっかりと感じつつ
作品が続く中でのブツ切れ感がないというか、
時間をほとんど感じることなく、
一方で両チームそれぞれのカラーに染められて
4編ずつを観切ってしまいました。

初日でしたが、さすがにこの面子ですがら
クオリティもしっかりと担保されていたし、
短編であってもいろんな突き抜けを楽しむことができて・・・、
なおかつ、更なる伸びシロを感じる作品もあり
勢いのある演劇を観た時の豊かさに浸ることもできて。

日曜日ががっつりと満たされました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

それぞれの作品の感想などを・・・

☆Aチーム

*経済とH「金魚の行方」

作・演出:佐藤治彦

出演:三嶋義信/平岩久資(田上パル)/富士たくや/小金井篤(野良猫連盟)
内田龍/一色洋平(早稲田大学演劇研究会)/藤野マキ(演劇集団アクト青山)
生井みづき/池内ひろ美(評論家)/佐藤治彦(経済とH)


どこかオーソドックスな印象の舞台なのですが、
シリアスさとコミカルな印象を重ねつつ
ちょっとバラけたように物語のコンテンツが貼り付けられていきます。
様々な要素が組み合わさっていくその中で
羅列されていくまさに現代日本の諸問題が、
次第に量的力を帯びてくる。

問題という以外にも旬のねたも取り入れて、物語厚みをつくり、
漫才のテンポや恋愛、あるいはドナドナが持つ感情の借景などが、
物語を重くせず、
一方で問題の山積み感のようなものを
浮かび上がらせていく。

悲壮ではないけれど
積み重なった問題からの
抜け出せなさというか無力感が残って・・・。
作品のテイストと出演者たちのカラー
さらにはテーマが何とも言えない調和を持った作品でした。

*Mrs.fictions「天使なんかじゃないもんで」

作・演出:中嶋康太

出演:岡野康弘/今村圭佑(Mrs.fictions)/山口オン(elePHANTMoon)

舞台美術などもうまく取り入れて、廃墟の風情が作り出される。
その場に訪れたやくざたちの雰囲気やせりふから
場所がそこはかとなく浮かび上がるなか、
一人のシスターがやってくる。

観る側はその絵面で刹那、
どこか浄化されるようなピュアな物語の展開を想像し
世界に引き込まれるのですが、
たちまちに予想は裏切られ
愕然とするほどに意外なシスターの正体、
さらにその場所の原点が晒されていきます。
シスターとのイメージのずれや回収の仕方に
ぞくっとくるほどの切れがあって・・・。
そもそも、シスターのお祈りのいい加減さだけでも爆笑もの、
ちょっと戸惑う観客に
解けるように露わになる彼女の過去や
やくざたちのこと、
さらには崩れ去ったその場所のいわれや記憶、
加えて彼女のイノセントな価値観のようなものが
畳みかけられて
巻き込むような笑いをかもし出してく。

で、その先に
他には誰もいない場所がどのようなところかが改めて暗示され
行き場をなくしたような3人がその場にあって
キャラクターたちのそれぞれの戻れなさに
冒頭とは違うペーソスが密度を伴って生まれていく。
ラストシーンの
どんずまりの終末感のなかでのひとときの安らぎに
ふっとこの国の今の風情が重なり合って・・・。

ここのところの作品やこの作品を観て
作・演は間違いなく何かをつかんだことを実感、
役者の出来もよかったです。、
岡野康弘に加えて急遽登板となったという山口オン、今村圭佑とも
そんなことはおくびにも感じさせず、
がっつりキャラクターを作り上げていて、
出色の出来でした.

・Dull Coloered PoP
「ボレロ、あるいは明るい未来のためのエチュード(Bolero, or an etude for a better future)」


作・演出:谷賢一(DULL-COLORED POP)

出演 東谷英人/大原研二/塚越健一/中村梨那(以上DULL-COLORED POP)
浅倉洋介/石井舞/岩瀬あき子(日穏-bion-)/川島佳帆里(TABACCHI)/窪田壮史
近藤強(青年団)/斉藤マッチュ/平佐喜子(Ort-d.d)/寺田ゆい/松﨑映子
百花亜希/山本卓卓(範宙遊泳)/ワダタワー(クロカミショウネン18)/渡邊亮

舞台に現れた出演者の多さにまず目を奪われます。
演出によって、一人ずつの名前が読み上げられる。
それとルーズにリンクするように舞台に動きが生まれます。

名前を読み上げるのは出演者の紹介かなくらいに思ったのですが、
まもなくそのニュアンスがわかる。
そこには国権の最高府を思わせる場が形作られ、
彼らは個の議員としてその場に立ちます。
やがて歴代の与党の党首によるリアルな首相の就任演説が始まります。

で、ここ何年かのこの国の国権の最高府の
歴史がなぞられる。
投げ出されたジャケットを取り合う姿に政局を重ね合わせるアイデア自体が
とてもしたたか機能して
観る側もにやっとしつつ舞台に込められた意図を悟るのですが、
この作品はそこからが凄い。、
ひとつの絵姿が形成されて始まる演説の
背景に直立する他の役者たちが
次第にフォーメーションを崩していく姿に
政権が揺らぎ崩壊していく感覚が重なり
さらにはそれらが混沌に至るすがたにリアリティが生まれる。
役者たちの空気を読み合う感性や
場の中でのフリーに演じていくなかでの表現の力、
さらには照明の作り方や、ゴング、
流れるボレロからニュースのアナウンスに至るまで、
それぞれが、
現実を剥ぎ出し、俯瞰させ、嘲笑し、凌駕し、
やがて、有権者が都度感じた茶番の感覚や
ある種の諦観や無関心の境地にまで至らせる。
重なれば重なるほど可笑しいのですが、
でも、笑えば笑うほど、
その空間が背負ったこの国の危さに恐怖を感じる仕組みが
組み上げられていて。

個性を埋もれさせることなく
場の混沌をを作り上げた役者たちにも目を奪われた・・・。
そしてなによりも、
この国の質感を鋭利に切り取る
作り手の才気に凌駕され暫く愕然としてしまいました。

・風琴工房「博物学の終焉」

作・演出:詩森ろば

出演:鈴木シロー(A.C.O.A)/有吉宣人(ミームの心臓)/石田迪子/齋藤陽介

突然一人の男が客席から舞台に飛び込んできて物語が始まります。
きわめて個人的な話ですが、
前のDull Colored Popの余韻を自らに整理しきれないうちの不意打ちに、
観る側として作品に向かい合う気持ちが冒頭のシーンまでに作りきれず、
短編集に挑む観客としての未熟を悟る・・・。

物語はとてもクリアなシーンの積み重ねでくみ上げられていきます。
未来の教室、
登場人物から感じられる緊張感や圧迫感のようなものが
せりふや演技の精緻さとともに次第に編み上げられていく。
そして、先生が現れ、授業が始まります。

正直なところ、
作品の真意を理解できたかどうかの確証はありません。
個々の場面に縫いこまれたロジックはなんとか追えたし
そもそも、ひとつずつのせりふ、
さらにシーンのそれぞれについて
特に難解なものはなかったのですが、
切迫した空気が舞台に満ちるなかでも、
役者達がかもし出すものが、
観る側の意図を形成して、
必然となりやってくるための
もういくつかの踏み台が欲しくなる。
既成の与えられたことにゆだねてしまうことなく、
自らの思考で立ち続ける感覚を背負いきるための強さのようなものと、
そうなしえないことの危うさや脆さのようなものが感じられて、
でも、それらが切っ先を持って自分の中に膨らんでいかないというか・・・。
終幕の流れについても、
頭では腑に落ちても、
そこから広がるに至らず、不思議に淡々としてしまい、
十分に浸しこまれることがなく・・・。

そういう感覚までを
観る側に与えることを意図しての作劇なのか、
観る側がいたらず、作り手の描くものの
全体像を受け取りきれずそう感じるのか・・・。
多分後者なのだろうと思う。

よしんば、
作品がテンションを減じ冗長になったとしても
もう少し長い尺のなかで、
ひとつずつのシーンに含まれるものや重なりを
しっかりと踏んで確認しながら
この作品に触れることができればという
愚者の欲求のようなものが残ったことでした。

☆Bチーム

*ミナモザ「指」

作・演出:瀬戸山美咲

出演:山森信太郎 つついきえ

冒頭のシーンの作り方が秀逸で、
作品で共有される舞台美術をうまく取り込んで、
廃墟の態をつくりだす。
役者が身体で場の足元の状態なども
表現するなかで、
観る側に、廃墟の殺伐とした風景が浮かんできます。

二人芝居だから醸せるような世界が生まれ、
淡々と修羅場の空気が立ち上がる。
モラルというか、もっと泥臭く人が自らを支えるための
矜持のようなものが
男女の間で揺らぐ。

もちろん、登場人部たちの行為は確信的な犯罪だし、
そのことに対しての良心の呵責だって、
彼らのなかから失われたわけではない。
でも、そうであっても、現実におされ、生きることの担保を失うなかで
自らが抱いていたものを、割り切り、踏み越えさせる感覚が
二人の会話から伝わってくる。

暗い照明は、二人の表情をあからさまにしない。
だからこそ観る側はその気配、
言葉に留まらない、
それぞれの思いや、逡巡、さらにはボーダーを跨ぐ刹那の感触までを
痛みに近い負荷とともに受け取ることができる。

重い作品だとは思うのですよ。
でも、その重さの中に、
生きるための時間の凄みというか肌触りが
埋もれてしまうことなく感じられる。
時間がたたずみ、場が淀むのではなく、
それでも進んでいく時間が
この舞台にはあるのです。。

観終わって言葉がありませんでした。
でもそれは単純に
劇中の物語に唖然とし、否定し、拒絶するというだけの感覚ではない。
モラルハザードへの怒りや生理的な嫌悪も生まれるのですが、
それは彼らの行為に対するものに対してだけではなく
その先に頭をもたげる安っぽい自らの良心をも対象に巻き込んでいく。
目をそむけたくなるような感覚の一方で、
そのなかに潜む、
生きる力に
救いのようなものを感じてしまい愕然とする。

そこまでの感覚に至らせる力が
この作品には内包されておりました。

*アロッタファジャイナ 「日本の終わり」

作・演出:松枝佳紀

出演:西村優奈(H・I・A)/阿部侑加
松浦希美(SPGプロモーション)/白勢未生/西谷尊典
若月里菜(加川事務所)/ナカヤマミチコ(アロッタファジャイナ)
佐々木美奈(さいたまネクスト・シアター)/泊 帝
神山武士(BESIDE-b.i.a)/西村誠太/西村壮悟(四畳半ヤング)


とても、クリアな感覚を持った作品で、
シーンの印象に明快さがあって・・・。
どこかポップで明るいトーンのなかに
一人の女子高生の思索をベースに
日本の問題を解決するアイデアや思い付きが
場の空気がもつ柔らかな高揚とともに
語られはじめる。

作り手独特の舞台のトーンがあって、
その展開には滑らかさがあって・・・。
快活な女子高生の感性が
家庭で語られ、ギアが入り、
やがて、概念が膨らみ、
辻立ちの地道さのなかにカリスマ性を秘めた政治家の引き出す高揚とともに
電車道のごとく日本のリセットというか
明治以降の日本の終焉の宣言へと突き進んでいく。
そこには閉塞の重さを、
すっと取り去ってしまうような、
万能薬の顔をした麻薬のような感覚があって。

アフタートークで
かつてのドイツの宰相の演説時の歓声が使われたとの話が
されていましたが、
作り手が描こうとする
閉塞したなかでの、
明快でわかりやすい解決や救済が持つ魅力と説得力、
そしてその輝きが包み隠す大きなリスクは
概念としては理解できる。

ただ、短編の尺のなかで工夫はされているのですが、
それが高揚にいたるための振り子の重さのようなものが
いまひとつ描ききれていない印象があって・・・。
最後の宣言にまで走り抜ける力を、
イースト菌のように膨らませ移行させるためのベースが
いまひとつ作りきれていない感じ
観る側としても、
後半の演説の態でなされる長台詞が受け入れられていく
その背景の部分が
もっとボディを持った形で観たいというか・・・。

観終わって、
シンプルなロジックの積み上がりの軽快さのなかの
得体の知れないメカニズムに対する危うい感覚は残ったわけで、
だからこそ、
電車道に入り込んで歯止めが利かなくなるにいたるまでの
物理的な重さの質感が
もう一歩足腰を持って感じられれば
描かれるものの切れ味が
一気に増したように思うのです。

尺の制約でやむおえないのかもしれませんが、
作品の表層的な部分の印象のみが強くなってしまったのは
少々残念なことでした

*ろりえ 「枯れ葉によせて(仮)」

作・演出: 奥山雄太

出演:杏実えいか 木村香代子 香西佳耶 松下伸二 松下結衣子

作り手らしい作品だなぁと思う。
展開がとても良い意味で既成の枠にはおさまらないというか・・・、
奇想天外というか・・・。

物語の組みあがりはとてもしっかりとしていて、
エピソードの重なりのなかで
着実に世界が生まれる。
滅失するものやその中でも残るものの感覚が
物語に上手く紡ぎこまれて
性的な表現、登場人物の劣情の質感なども
物語の展開とともに観る側にしっかりと収まっていく。

劇団らしい小道具なども作りこまれていて、
唖然としながらも、作り手の世界から滲みだしてくる感覚に
心を捉えられる。
そこには、家庭の危さや人のぬくもりを求める想い、
さらにはリヒドーへのあからさまな踏み出しや
生の生々しさが縫い込まれいて。
かりそめのような二部構成から
今の時代の質感、そして生きることの数奇さと
重さと軽さが不思議なビビッドさで伝わってくる。

今回の演目たちの中でも、
この作品はかなり異質ではあったのですが、
他の作品では表現しえないような
震災をも超えた
市井の生きる感覚への切り口があって・・・。
単に作品の独創性にとどまらず
公演全体が表現するものの偏りを和らげ
厚みを作り上げて・・・。

作り手の非凡な才能を
改めて感じることができる作品でありました。

*JACROW 「甘えない蟻」

作・演出:中村暢明

出演:猿田モンキー/中村哲人/藤沢玲花/蒻崎今日子(JACROW)

静かに、息を殺して見つめてしまうような空気があって、
そのままに舞台に引き込まれてしまう。
登場人物たちの衣装から
かすかに死の気配を感じつつ・・・。

その空気を散らせることなく
キャラクターたち個々が浮かび上がってくる。
世界がそこにあって、
それぞれの立ち位置から
その時間にいたるまでの物語がゆっくりと見えてくる。

そして、気がつけば
一人の男の存在感が
次第にくっきりとその場に浮かんでくるのです。
機微というのとも少し違っていて
あからさまな部分があり、
時に探りあい擦れ合い、
距離感が作られ、
空気がさらに行き場なく濃密になっていく感じ・・・。

無理やり渡されそうになったというお金の行方、
娘と母の確執、
兄弟たちの距離感や空気感・・・、
そのなかで
表題ともなった蟻の姿が
じわっと観る側に広がってくる

ラスト近くのPCにメッセージが流れるイメージは
ちょっと違和感があったけれど、
だからこそ、
そこから生まれるニュアンスには
観る側を放ちながら深く捉えるものがあって。
娘の想いが素直に伝わってくる。
冷めたタイトな空気がすっと温度が生まれてふくらみ
エピソード自体から少し解けて
今のこの国のありふれた姿として
観る側に置かれて。

観終わって、
この空気を尺にしっかりと収めきった
作り手や役者達に瞠目。

ただ、贅沢を言えば、この尺を取り払うことで
さらに広がる視野が作品にはあるような気もして。
劇団として、再演してほしいようにも思いました。

○○○ ○○○ ○○○

マチネでA、ソワレでBと拝見して、
正直かなり疲れました。

通常の短編集に比べても
この作品は、「日本の問題」というテーマがあるからか、
どの作品にも、
なんというか、
観る側に対して作り手の挑みのようなものが感じられて。

だからこそ、
A/Bともそれぞれに
どの作品も
作り手たちそれぞれの色が
くっきりと感じられたのだと思う。
時間の制約も、良し悪しは生まれたものの、
共通して作り手に、
より集積度の高い作品を
作らせていた印象もあって・・・。

まあ、よれよれで家路をたどりましたが、
そのなかでも
単に演劇的な感想だけではなく
もっと、いろんなことを考え続けていた。

いつもとちょっと違う高揚や
思考回路をたどった帰り道でありました

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