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Produce lab 89 「官能教育第4回 藤田貴大×中勘助『犬』」演劇の仕組みで語られる(一部改訂)

2011年11月23日、Produce lab89 官能教育第4回

 藤田貴大×中勘助『犬』

を観ました。

会場は六本木新世界。

休日の深夜近く、
作り手が紡ぐ世界に浸りこんでしまいました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

構成・演出 : 藤田貴大

テキスト : 中勘助 『犬』より

予定より早く着くことができたので、
1Fのガラス屋さんの前に本を読みながら並んで、
上手の良席をゲット。
目の前の素舞台を眺めながら、リラックスした気持ちで開演を待ちます。

客電が落ちて役者が現れる。
ハイバイの舞台などでも観たことのある
冒頭の素を演じる山内健司的自己紹介、
カンニングペーパーを示して
この舞台の原点にピンを立てる。

そこから舞台が動きだし、
青柳いづみ的な距離感が
観る側に、原点からのいくつもの彼女の立ち位置を観る側に示す。

さらには
尾野島慎太郎的なあからさまな存在感が
舞台のそれぞれの立ち位置にリアリティを注ぎ込んでいく。

いくつかの台詞と身体で
たちまちに場をすっと立ちあげていく
作り手のメソッドが機能する。
しかも、一通りではなく
多層的なキャラクターの姿を浮かび上がらせ、
それぞれの風景を現出させる。
たとえば、役者としての女性、キャラクターを演じる女性、
リーディングされる作品中の女性
二人の青柳さん、そして三人の青柳さん・・・、
舞台上の構造が繰り返し提示され、
認識の共有を確認する言葉も
素敵に脱力系な言い回しで何度も織り込まれていきます。

そして、それぞれの階層で、極めて確かな足腰で
役者たちがイメージを広げ始める。
個々の世界の中に、
織り込まれていく演技の秀逸、
描き出され、繰り返され、実存感に満ちていく空間・・・。
藤田作劇のいくつもの引き出しから取り出された表現が、
役者たちの豊かな力量とともにそれぞれの時間の流れを組み上げる。
平板にリーディングされる中勘助の原典のピース、
作家の創意とともに浮かび上がる街の風景があり
やがて演劇の世界を演じる態で
さらに派生した楽屋の光景までが交差していきます。

観る側に3つの異なる密度や色を持った時間が行きかっても、
演劇の世界が担保されていることで
それぞれの世界があからさまに混濁し滲むことがない。
観る側は冒頭のシーンとベースにあるカンニングペーパーの各階層間を
舞台の流れに従って、
律義に降りたり登ったりしていく感じ。
でも、それぞれの物語が歩みを進める中で
気が付けば
どの階層にも織り込まれていた「犬」の世界のコアが
ベールを脱ぎ捨て観る側を掴み取る。
回転錠の番号が揃ってロックが外れ
一つの共通した扉が開いていく感じ。
他人ごとのように、指折り数えるように、
つぶやきのようなトーンとともに
女性の性的体験が置かれて・・・。

男性のモラルの縛めが解かれ
突然に姿を現わす劣情
女性が是非もなく
女性としての世界に引き入れられる。
男は満ちた水が溢れるように端境を踏み越え、
人から畜生へと歩みを進めて・・・。
さらには殺生へと至る。

でも、ここからが、この舞台の真骨頂で
ことに至る表現が繰り返されても
重ね描かれた物語の階層構造が、
観る側の視座をクラッシュさせることがない。
よしんば強い印象が生まれても
世界が無条件にカタストロフ的に崩れて
カオスに陥っていくわけではないのです。
観る側にとっても演じ手にとっても、
そういうことになっている」という
むき出しになった演劇の骨組みに守られている。
守られているから顕しえることや
受け取れることがある。
レイプのあからさまな表現であっても
それがいたずらに観る側を劣情に塗りこめるのではなく、
その行為をも取り込んで動く
人が普遍的に持ち合わせた歯車の
かみ合わせの軋みが聞こえるところまでしっかりと導く。
醜さと美しさ、それを俯瞰するような感覚。、
それらが演劇の構造の中であたりまえのように観る側に降りてきて、
だからこそ、観る側はその場にあるものを、
なにも閉ざさず、ためらわず、
そのままに受け取ってしまうのです。

作劇の秀逸が空間を共有する規律を醸し出すことで、
演じる側も踏み越え得るし
観る側も受け取りえる世界が
端正な容貌を崩すことなくそこにある。
女性の体験や想い、
さらには男性の憎悪や殺意、
目を背けるような感覚や、
その中にかすかに薫るインモラルな匂い・・・、
それらは
観る側にも、そして多分作り手にも
触れることへのためらいや、接した時の嫌悪を伴う。
でも、その部分を混沌に投げ出したり、
拡散させたりぼかしたりせずあからさまにし、
そのままに舞台の技法にのせて現わしていく作り手の姿に、
原作に対する矜持のようなものを感じて。

ピュアとか昇華されていくという感じでもないし、
圧倒的な重さや切っ先で押し切られているわけでもない。
観終わって、エロさも衝動的な感覚も
浄化されることなく残る。
なにか、行き場のない情けない感覚が浮かんだり
刹那がどこか滑稽で面白かったりもする。
そもそも語られたのは、
必ずしも肌触りのよい物語ではない。
でも、その一方で
現わされるものに歪みを感じなかったり・・・。
自由でありながら、
ここ一番がきちんと作られているというか
だらしなくないというか
作品としての折り目の正しさのようなものが残る。
終電間際で駅に急ぎながら
そんなことを考えていた帰り道でしたが、
一番、不思議だったのは、
上手く言えないのですが、
なにか、心地よい満たされ方で劇場を後にしていたこと。

でも、作り手の他の作品がそうであるように、
この作品にも少し時間を置くなかで
角砂糖が崩れるがごとくもう一段解ける時期がやってくる。
今回は少し時間がかかったけれど、
まったく関係のない、とある推理小説を読み終えて、
その満足感と劇場を後にした時の満たされ方が重なり、
アッと思う。
多分、あの満たされ方って
作り手が作品の原典というか小説を読み込んだことから
それが、作品に織り込まれて観る側に伝わってきたのではないかと・・。
で、観る側としては間抜けな話なのですが、
官能教育というシリーズがベースをリーディングとして行われるものであることに
思い当たって。
そのルールのボーダー近くにまで世界を広げながら、
舞台上に読了感的な満ち方までをしたたかに縫い込めた
作り手の力量に改めて舌を巻いたことでした。

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