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キラリふじみ新作レパートリー「あなた自身のためのレッスン」時代との乖離はあるけれど

2011年10月18日初日ソワレにて
キラリふじみ新作レパートリー「あなた自身のためのレッスン」を観ました。

会場はキラリふじみ、メインホール。

風変りで時代からも乖離している感じなのに、不思議とがっつり
舞台に醸し出される世界を楽しんでしまいました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

作:清水邦夫

演出:多田淳之介

出演:宇井晴雄、伊東沙保、猪股俊明、中村まこと、大川潤子、大崎由利子、小田豊

入館してメインホールに向かおうとすると、
職員の方から事務所の方を案内される。
冒頭からちょっと勝手が違っていて・・・。
その先にはメインホールの楽屋があって。
さらに先には舞台があって、
舞台の部分に客席が設えてあって。
で、かりそめの催し物のセッティングをかたずけるところから
舞台が始まる。
なんとも言えない違和感を感じるのですが
でも、そのことによって、舞台となる場所を
観客としてではなく
構造側からながめるような感覚が生まれて。

居つくように劇場に暮らす管理人。
逃げ込んできた二人の男と一人の女には
明確なアイデンティティがなくて・・・ 

そこに、多分私のようなおっさんですらその匂いくらいしか知らない、
戦後の日本の家族や社会が大きく変革して行く時代の肌触りが
様々な寓意やデフォルメを織り交ぜて
舞台を満たしていきます。

劇場の管理人たちが担う、
どこか下世話で、小芝居に織り込んだりされるような
パターンや色をもった社会や生活の感覚。
消防所長や母親が背負う、
コンサバティブな権威や家庭の概念。
そのなかに揺れる、
記憶を失った父や子供たちの感覚も
単にステレオタイプな表現にとどまらない、
ある種の生々しさをもって描かれていく。

役者達の演技に、時代や概念を踏み越えて
活き活きした実感を立ち上げるに足りる豊かさがあって、
舞台が混沌とならず、
場のかりそめ感が上手く切り分けられ、構成されて
観る側に見晴らしを作り
場面の空気の先にある寓意が
観る側にあからさまなほどにつたわってくる。

気が付けば、
時代の様々な要素が醸し出す風情や感覚に
どこかPOPな実存感とともに囚われて、
そのなかで逃亡者たちが抗い、足掻く感覚の変遷や
やがては舞台に埋められてしまう男に作り手が委ねたものが
ふっと腑に落ちてしまうような感覚が訪れて。

多分、初演時の舞台の印象は、
もっとリアリティに富み、禍々しくもあり、
強い切っ先を持っていたとは思うのです。
でも、それは舞台のクオリティの問題ではなく、
むしろ、舞台の精度が高ければ高いほど
受け取る側の生きている時代と、作品が醸し出すものが
乖離するような構造になっていて。

でも、乖離していても、なおかつ心囚われる部分があり
それが観る側にテイストとしてしっかり残っていることに
この舞台の秀逸を感じる。

なんだろ、表層は古びていても
舞台上のテンションにも支えられて・・・。
舞台装置や美術、照明などによる作品の語り方にも
ぞくっとするような切れ味を感じて。

共感できるというのとは少し異なるのですが、
でも比較的長尺の舞台でありながら
時間を忘れてその行く先を追い求めるような感じがあって、
いくつもの場面はもちろんのこと、
作品全体としても面白かったです。

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