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マームとジプシー「Kと真夜中のほとりで」更なるスキルとメソッドを纏って(一部改訂)

2011年10月14日ソワレにてマームとジプシー「Kと真夜中のほとりで」を観ました。
10月21日ソワレにて再見。

会場はこまばアゴラ劇場。

これまでに観た作品たちの秀逸から、さらに歩みを進めた作り手の世界に深く取り込まれました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

作・演出:藤田貴大

出演:伊野香織 大石将弘(ままごと) 大島怜也(PLUSTIC PLASTICS)
荻原綾 尾野島慎太朗 川崎ゆり子 斎藤章子 坂口真由美 高橋ゆうこ
高山玲子 成田亜佑美 波佐谷聡 萬洲通擴 召田実子 吉田聡子


入場すると、場内では役者たちが、思い思いにアップをしていて。
やや暗めの照明が、ちょっと沈んだような空気を醸し出す。
観客が増えていくに従って客席のざわつきが収まって。

緩やかな静まりのなかで開演を待ちます。

冒頭の一つの想い、
それが線として他の想いに交わる。
繰り返しのなかで
少しずつ広がっていく感覚。
別の想いが置かれて、いくつもの感覚がさらに現れて
タイムスタンプが押されたその刹那の
俯瞰へと変わっていく。

ダンス的な、豊かな感覚のニュアンスを持ったシークエンスが舞台に広がり、
リズムが身体によって紡ぎだされ、
真夜中の、なにかが解き放たれた感覚が
舞台上に満ちていく。
その感覚をゲートウェイにして
キャラクターたちの一夜の時間軸が現れ、
次第に、3年前に尋ね人となった女性、
Kの存在が原点の位置に浮かんで。Kとの様々な距離が解けていくように
いくつもの記憶が紡がれていきます。

女性の5年前のKとの記憶、
断片的で曖昧な中にもKの感覚が浮かんでくるエピソード。
尋ね人へと変わる少し前のKとの係わり合いの記憶をいだく女性たち。
ノックの音、去っていく足音、電話・・・・。
あるいは夜の街を歩くKの兄
もしくは、Kの靴が置かれていた湖のほとりで
写真をとる男性・・・。
切り取ることができない
彼女の見ていた湖の風景の深さ。
さらには、別の家族のエピソード。
2時間後の始発を待つ女性との駅の風景。
駅舎に貼られた尋ね人のビラ、その中に兄が作ったKのビラ。
別の家族とKの重なりの質感が、
深夜の町の空気の様々な濃淡や広がり、
さらには時間の同一性をかもし出していく。

まっすぐと尋ね人の彼女に向かうエピソードのベクトルや
そのベクトルと交差する別のエピソード。
真夜中の時間が歩みを進める中で
舞台上を進むいくつかのエピソードは
それぞれのニュアンスを貫くように交差し
町全体の時間の流れにKとの様々な距離が組み込まれて
観る側の体感的な時間をも引きずり込んで。

さらに真夜中は進んで、
Kを原点としてかかわりあっていくものの広がりは
もう、明けることのないような
それでも明けていくであろう
閉塞感を持った夜の肌触りや温度にたどりつく。
進む真夜中の時間は
役者たちのさらなる身体の疲弊を強いて
一夜を過ごして夜明けを迎えたときの
解き放たれたような感覚にまでたどり着く。
それは、Kの記憶を消し去るように
町を出て行く女性の感覚に重なり、
Kの記憶に対する町の
繊細でかすかな
記憶の滅失のテイストと踏み出すことの実感へと繋がって。

終演、舞台上の役者たちだけではなく、
観ているだけの自分自身までが
空間の時間に流され、空気に運ばれて
明らかに消耗していた。
でも、そのことで感じ方がぼやけてしまったわけではなく
何かが麻痺したような感じや、
囚われた時間の重さや軽さに
自らがさらに覚醒したような感覚があって。

振り返れば
真夜中の世界に編み込まれていった
キャラクターたちのさまざまな記憶、
Kの兄の想いや、Kの兄を思う女性の気持ち、
Kにかかわった先輩や友人たち、
さらにはKと直接交わることのなかった家族の想いまでが
時間の流れに編みこまれていったにもかかわらず
個々のエピソードが質感を失うことなく
観る側にクリアに置かれている。
記憶と今の重なりや広がりが
それぞれの時間や空間の軸とともに
観る側に感覚のリアリティを育んでいる。

役者たちには観る側を巻き込むような
身体に対する挑みの気概と
個々の感情を繊細に表現する繊細な心情表現を
一つに束ねる力量があり、
観る側を舞台にゆだねさせうる演技の広がりを感じさせます。

夜や闇の引き込むような力を感じさせる一方で
役者たちの素の質感やある種の高揚を
したたかに切り分け浮かび上がらせる
舞台美術や照明にも洗練があって。

最後のシーン、その夜を通り過ぎて
町を出ていく女性とKの兄の会話が秀逸。
その夜も、訪れた朝も、
彼女の中に取り込まれ
記憶に織り込まれていく実感に、
ふっと彼女の生きていくことへの俯瞰がうまれて、
さらに浸潤される。

作り手が、前作あたりで身につけた新たな推進力のようなものが
作品の中でしっかりと舞台を作り上げていることを実感。
でも、これまでの表現のメソッドたちが捨て去られたり埋没したりということではなく、
むしろ、更なる表現によって、これまでの語り口で紡ぎ出す時間や空間が
より深さというか奥行きを観る側に与えていることに目を瞠る。

この作品、是非にもう一度見たいと思いました。
そこには、よしんば辿りきっても
再び心に呼び戻したいと思う
人間のある種の本能を揺さぶるような感覚があって。
うまくいえないのですが、
単に物語を受け取るというだけではない、
もっと奥にあるものに対する作り手の俯瞰が
この舞台からは感じられるのです。

再びあの空間や時間を過ごす時
何が見え、感じることができるのか。
帰りの電車の中で、ゆっくりと高揚が解けていく中で
過去のこの劇団の作品を観た経験から予想していたことではあるのですが、
もう一度、強く、この作品に触れたくなりました。

*** *** ***

で、一週間後にもう一度劇場に足を運ぶ。
作品自体の世界は変わっていませんでしたが、
初日に比べて
前半の周りのやや浮足立った感じが薄れて
よりくっきりと場の質感を感じることができるようになりました。
全体のボリューム感は、
観る側が二回目ということもあってか、
やや減じられた印象があるのですが
舞台のそれぞれの要素に、
初日からさらに研がれたような
鋭角の力が生まれているように思えて。
終盤、体力の限界をさらに踏み越えるように表現された想いが
より強烈に「ラストシーンを際立たせて
深く浸潤されました。

作品の秀逸を改めて実感するとともに、
舞台が公演のなかでさらに育っていることを実感したことでした。

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コメント

I’d need to look at with you right here. Which can be not something I normally do! I get enjoyment in looking at a publish which will make individuals feel. In addition, many thanks for permitting me to comment!

投稿: Diablo 3 | 2011/10/31 01:34

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